2015年09月10日
『絶歌』第二部において、関東医療少年院入所中のAの生活で語られているエピソードは二つだけだが、そのひとつが、「読書療法」の名目で差し入れされた多くの小説を、彼がせっせと読み耽ったことだ(ここでも私は、Aの言葉を事実に即していると仮定する)。
「少年Aは読書家」というイメージを持つ人もいるが、僕は元来本を読むのが好きなほうではなく、活字よりも漫画や映画といった視覚媒体のほうにより深く親しんでいた。読書の醍醐味を知り、本格的に読書にのめり込むようになったのは、少年院に入った後からだった。(……)独房では、一分が一時間のように感じた。(……)スタッフは「読書療法」という名目で本を差し入れた。ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』、メルヴィル『白鯨』、ドストエフスキー『罪と罰』(……)。僕は与えられた本を、一頁一頁、映画を撮るような感覚で映像を思い浮かべながら貪(むさぼ)り読んだ。(251頁)
もともとは視覚媒体が大好きだったという点にも、多くの小説を「映画を撮るような感覚で」耽読したというところにも、飛び抜けてクリアカットな映像記憶力を持つ、「直観像素質者」Aの特質が見て取れよう。また彼が、「読書家」という流布された自分のイメージを修正している点も見逃せない。
実際、社会復帰後のAの人生が語られる第二部では、第一部のそれに比べて、過剰なレトリックが影をひそめた、簡潔な、いわば事実報告的な文体がメインになる。たとえば――。
電車を乗り継ぎ縁もゆかりもない土地へ降り立つと、カプセルホテル、健康ランド、ネットカフェなどを泊まり歩き、できるだけ安く、自分の身体に合った長期滞在できそうな環境を探した。(……)結果、一泊千八百円のカプセルホテルに落ち着いた。料金の面ではネットカフェがいちばん安上がりではあるが、ナイトパック割引きが適用される時間になるまで外に出ていなければならないし、夜中になってもキーボードを叩く音がうるさく、何よりすぐ横に人の気配を感じながら就寝するなんて僕にはどだい無理な芸当だった。その点、建物の中にコインランドリーや浴室があり、ちゃんと足を伸ばして眠ることができ、荷物が置きっぱなしOKのカプセルホテルが長い目で見た場合はベストだった。/カプセルホテルの部屋は二段式で、部屋の広さは奥行きが二メートル、高さと幅は一メートルほどで、出入り口はロールカーテンで仕切られ、天井の角に備え付けのテレビがあり、ラジオとアラームも設置されていた。(225頁)
また、再生保護施設に入っていた時期(2004年4月上旬~4月中旬)に、日雇いバイトのビル清掃時に使った「ポリッシャー」についての克明な描写――。
「ポリッシャ―」とは、直径三十センチほどの円形ブラシをモーターで回転させて床を磨く清掃用機械のことだ。バケツを逆さまにしたような形状の本体部に伸縮ハンドルが付いていて、ハンドルの高さや力の入れ加減で本体部の進行方向を操作する。ポリッシャーの扱いにはちょっとしたコツが必要で、あまり力任せに本体部を動かそうとすると、思いもよらぬ方向に動き出して壁にぶつけてしまう。(172頁)
この少しあとの時期(2004年4月中旬~5月中旬)に、Aが廃品回収業に従事した仲間の一人、無口だが好人物らしいイモジリさん(仮名)とトラックの中で二人きりになった時の様子は、こう書かれる――「無口なイモジリさんと狭い車内にいるのもなんとなく気まずかった。それを察してか、イモジリさんのほうから僕に話しかけてきてくれた。こういうタイプの人はとにかく人の心の動きに敏感なのだ」(190頁)。
また少し後段で、Aはイモジリさんについてこう記す――「[イモジリさんのような]人付き合いが苦手な人は、人の心を読むのが上手い。人の心が読めてしまうから、人と付き合うのが嫌になるのかもしれない」(194頁)。
なかなかデリケートな筆づかいだが、この記述が事実だとするなら、社会復帰後のAには他人への共感
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