2015年09月16日
『絶歌』においてAは、土師淳君殺害について、前記の鑑定書には記されていないことを書いている(118頁以降:ここも読むのが辛くなるようなくだりだが)。
すなわちAは、「天使のように自分を受け入れてくれる」淳君を、愛おしく思うと同時に殺したいと思ったという、自分の相反感情を告白し、さらに、淳君を殺したのは淳君に映る醜い自分を殺したかったからだ、と書く。
それともAはここで、愛着の対象を殺害することで強烈な性的満足が得られたということを、暗にほのめかしているのか。
むろん断定はできないが、私にはどうもそうは思えない。猫殺しでは満足できなくなって殺人にいたったという、本書のAの記述とも矛盾するからだ。
もっとも本稿「3」「4」で述べたように、Aは、「性的サディズム」というコンセプト自体を疑問視するようなことも書いているのだが……。
いずれにせよ『絶歌』の読者は、Aが淳君殺害にいたった真相に、触れることができない。A自身も淳君殺害の動機を完全には理解できていない、という印象も拭いがたい。
そしてこのような、犯人がどのように語ろうと、また警察や精神科医がどのような解明を試みようと、謎の部分が残ってしまう凶悪殺人事件は少なくない。
柳下毅一郎がいみじくも言うように、「ミステリにおいてはすべての手がかりは真相に結びつき、すべてのピースがはまりあってひとつの絵を作りあげる。だが、現実[の猟奇的殺人で]はそんなに都合よくいかない。パズルのピース同士はどうしてもうまくはまり合わないし、最後にはどうしても埋まらない隙間が残ってしまう。どうしてもどこにも回収されない細部が残ってしまうのだ」(『殺人マニア宣言』、筑摩書房、2003、<ちくま文庫版「あとがき」>、281頁)。
また、Aの殺人動機の不可解さという点で想起すべきは、
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