エヴァン・オズノス 著 笠井亮平 訳
2015年10月02日
何年か前だが、中国のSNSに、ゲームのレベル設定になぞって「生まれるときにハードモードを選択したから中国に生まれちゃったのかな」というつぶやきが出回り、若者たちの共感が広がったという。
「ノーマルは米国、日本、欧州?」や「ハードでもいい装備すればノーマルより楽しい」という反応の書き込みに中国の若者の気持ちを垣間見たような気がした。
本書を読むと、まさに中国の「ハードモード」がリアルに分かる。
『ネオ・チャイナ――富、真実、心のよりどころを求める13億人の野望』(エヴァン・オズノス 著 笠井亮平 訳 白水社)
1人だけでも大河ドラマになりそうな登場人物ばかりで、本書は掛け値なしに面白い。
一攫千金のチャイニーズドリームを描いた「冨」、共産党の言論統制に向き合う表現者たちをルポした「真実」、発展に取り残された人々の浮遊についての「心のよりどころ」の3部構成となっている。
著者は「反中」のような偏見とは一線を画した公平な視点で当事者への綿密な直接取材をしており、多様で重層的な中国社会の実像をありのまま伝えていると言っていいだろう。
原題の中国語訳の『野心時代』を体現しているのは出会いサイトを運営する龔海燕という女性だ。
湖南省の裕福ではない農家に生まれ、高校を中退して広東省のパナソニック工場の工員になるが、チャンスをつかんで北京大学に入学。中国はお見合いが多く、出会いの機会がないことに目を付けサイトを始めてとんとん拍子に会員数を増やし、米国株式市場に新規上場すると彼女の所有株式の価値は7700万ドルという巨額になった。
中国人で初めて世界銀行のチーフエコノミストになった林毅夫の人生は数奇と言うほかない。
彼は台湾から中国への(逆ではない)亡命兵士だった。毛沢東思想に影響され、大陸中国の発展に貢献したいと中台の海峡を泳いで逃げた。北京大学で経済学を学び、改革開放の中で、社会主義と真逆の新自由主義経済理論の中心である米シカゴ大に留学、共産党統制下での経済成長という中国型資本主義のオピニオンリーダーになる。
資本主義経済と共産党一党独裁の両立の矛盾はもちろん言論や表現の世界に現れる。
ジャスミン革命の余波で軟禁状態に置かれる美術作家艾未未や、投獄された民主活動家劉暁波への弾圧は比較的理解しやすい弾圧だが、経済雑誌「財経」の元女性編集長の胡舘立の存在は中国のジャーナリズムの複雑さを示している。
胡は党幹部と麻雀を囲んで太いパイプを持つような政界記者でありながら、四川大地震で当局の隠した被害を暴くようなしたたかさとジャーナリスト魂を併せ持つ。
また「憤青」(怒れる若者たち)を代表するカリスマ作家の韓寒も矛盾に満ちた存在だ。社会批判的な文章をネットに発表するかと思えば、政治的主張をやめて欧米ブランドファッションのモデルになったり、フォルクワーゲンチームのカーレーサーになったりする。
本書で見えてくるのは、冒頭の小咄で言う「ハードモード」とは「矛盾」にほかならないということだ。
独裁への反発と沈黙、グローバル経済的な冨へのあこがれと違和感といった矛盾のなかで、揺れ動き、もがく中国の人々の生きる姿を本書は見事に析出している。ビジネスや表現で突出した人々だけではなく、冨の恩恵にあずかれない庶民の心のありようを愛国主義や宗教から浮かび上がらせているのも本書の奥行きの深さだ。
「反中本」ばかりが目立つ日本の出版状況のなかで、中国社会の複雑さを複雑なまま理解していく手がかりとして本書はぜひおすすめしたい。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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