津野海太郎 著
2015年10月02日
身につまされる、というか、何だか、とても納得することの多い本だった。たとえば、こんな記述。
「ある量の蔵書を持たないと商売にならない職種の人間は、古稀をこえるあたりで、たいていは大きな決断を迫られる」
当方はまだ古稀には(ほんのちょっと)間があるものの、この一文はグサリと来た。
新聞社に長く勤め、大学教師に転じた。こちらもそろそろリタイアの時期である。
拙宅の「書斎兼書庫」は書棚をあふれた本が床を埋め、しばしば探す本が見つからない。研究室の両壁にずらり並ぶ書棚は、縦に収めた本の前に横積みされた本が増え続けている。
決して「蔵書家」というわけではない。雑本ばかりだ。
だが、収容能力を考えれば、リタイアを前に「大きな決断を迫られ」ていることは明らかである。
著者は、長年編集者を続け、時代の文化を創り出す多くの本を刊行し、大学教師の職にもあった。著作も多い。
つまりは本とともに生きてきた人生なのだ。本書は、そんな著者が自らの「老い」をさまざまに実感しながらつづった読書エッセーである。
少し後輩の老人としては、来し方行く末(「行く末」というほどの時間はないか)に思いを致しつつ、本について、読書について、本を読む人の人生について、さらには今という時代について、いろいろと考えさせられた。
幸田露伴、正宗白鳥、石川淳、大岡昇平、中野重治といった先人たちの、読書生活に直接間接にかかわる文章が数多く引かれている。
中野重治の「本とつきあう法」が好きで、何度も読んだという。「本はこう読むべしというのではない。じぶんは日々、どのようにして本とつきあっているかを、独特の肉感的な文体でいきいきとのべた文章」と、著者はその魅力を語っている。
本書は、著者の著作に親しんでいる読者にはなじみ深い、時おり話し言葉を混じえたカジュアルな文体で書かれている。私としては、著者が中野について語った言葉をそのまま本書に重ねたい。
「硬軟とりまぜた雑食読書人」(幸田露伴を典型とする「硬派の伝統的読書人」に対する自称である)たる著者だけに話題は多岐にわたる。ただし、読み進めていて、「とりとめない」という感じはまったくない。なぜだろうか。
一言で言えば、「退職年金老人」(これも、著者の自称である)が、21世紀という時代に生きる自身を含めた老人について、確かな歴史認識を持って見つめているからだろう。
小津安二郎『東京物語』の笠智衆が演じた父親役〈平山周吉〉は、どう見ても70代である。しかし、このとき、笠はなんと49歳だった。
著者は、このことを知って「驚いた」と書いている。私もびっくりした(だって、実年齢相当を演じただろう「寅さん」の御前様と平山周吉は、映画では同世代に見えるではないか)。
ほかにもいくつか「実例」を挙げて、著者は「老人演技がへたになった」という文章を書いている。もちろん、うまい役者はいる。演技そのものは昔より上達しているかもしれない。だが、何だか「へた」なのである。
老人演技は何も舞台や映画の中だけにあるわけではない。「日常生活にも老人演技はある」と書いて、この21世紀の「退職年金老人」は「もうおやじや祖父のようにはうまく齢がとれない」と続ける。
私もまもなく著者の後ろに並ぶ身だから、「うまく齢がとれない」という表現に深く共感した。
むろん、平均寿命が延びたという状況があるに違いない。しかし、それだけではないだろう。前世代の老人たちの前には「アンチ・エイジング」なんて言葉はなかった。「若くありたい」と考えている人間が、うまく齢をとれるはずがない。
とはいえ、「いまどきの軟弱な老人」(これも著者の自称である)は、「むかしの老人だけが正しい老人ではない。いまの世の中には、そうではないタイプの老人だっていくらもいるのだ」と、いくぶんタンカを切る。
発作的に新旧の本から本を渡り歩く。昔読んだ本を再読して「記憶の裏切り」を実感する。こうした「老年読書」の現場報告も楽しい。ネットワークにつながった公立図書館の活用法などは、実用的でもある。
楽しい、役に立つ話題の一方、「老いる」とはこういう経験なのだと改めて粛然となる文章も少なくない。友人・知人、そして影響を受けた人たちの死にかかわる話である。早稲田の「劇研」以来の友人、俳優斎藤晴彦の死にふれた文章の最後を引く。
「人はひとりで死ぬのではない。おなじ時代をいっしょに生きた友だちとともに、ひとかたまりになって、順々に、サッサと消えていくのだ。現に私たちはそうだし、みなさんもかならずそうなる。友だちは大切にしなければ」
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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