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60年と15年の「安保闘争」は何が違うか(上)

ナショナリズムと自衛的コミュニタリズム

菊地史彦 ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

国会前デモのシンパシー

 8月以後、高校の友人たちと誘い合って国会前へ通った。最初は2人だったのがしだいに増えた。

 毎日会社へ通っている者もおり、親の介護を抱えている者もいるから、顔ぶれは変わる。それでも日比谷公園で待ち合せると、毎回5~6人がやってきた。

 もう40年を越すつきあいだから、男女を問わず、目顔で最小限のあいさつを交わしてから、霞門を出て、東京高裁と農水省の間の陰鬱な道を抜け、外務省上から国会前へ向かう。 

 何回目かのデモの後、やっぱり旗をつくろうということになり、AdobeのCS6を使える友人にデータを作成してもらい、高校名の入った幟旗をネットで発注した。

撮影:長谷川弘拡大撮影:長谷川弘
 赤字に白抜きで「井草高校OB・OG共同行動」(写真)。

 以後は毎回これを押し立てて、人混みをかきわけ、なるべく目立つように(!)前の方へ出た。

 面白かったのは、母校の旗を見て、声をかけてくれた方が結構いたことだ。

 「今年の3月まで教えていました」とか「娘が通っていました」とか「同学区の武蔵丘高校出身です」等々。

 名刺をちょうだいして情報交換をした方もいる。

 また2007年に卒業した後輩の女性から「わぁ、すごい!」と言われて、オジさんたちが喜色満面になったりもした。

 多くの方が指摘しているように、今回のデモには様々な世代の参加者がいた。

 60年安保組、70年安保組から大学生・高校生まで、その多様性自体がデモの楽しさになっていた。しかも半世紀余の世代差を越えて、参加者のあいだには、安定した共感が醸し出されていた。

 安保法制と安倍政権という具体的なターゲットが「大同団結」をうながしたことはまちがいない。また平和主義や民主主義が――理解の差は多少あるにせよ――たんなる概念体系を越え、「共感体系」として分有され、独特な雰囲気となってデモ隊を包んでいた。

1960年安保拡大「60年安保闘争」は2015年に復活したのか
 少なからぬ人がこうした現象に触れて、60年安保闘争の復活と論じた。平和主義や民主主義という戦後思想が、時代と世代を越えて蘇ったなら、それはひとつの奇跡であるからだ。

 こうした「復活説」は、安保問題、強行採決、国会デモという道具立ての類似によって、戦後思想の普遍性や持続性が、今回の運動で証明されたとする論理へ通じていく。

 一方、若い政治学者の佐藤信のように、「みんな60年安保闘争に引きつけすぎではないか」と反論した論者もいる(佐藤信「異見を認識し向き合え」毎日新聞、2015年9月11日)。

 佐藤は「60年安保闘争のイメージに引きずられた議論は、実態を脇に置き、あの時代へのある種の郷愁に浸っているに過ぎないのではないか」と書く。

 彼が言う「実態」とは、ネット空間にからめとられ、管理システムに包囲された私たちの境遇を指しているらしい。そうしたリアルは、60年代への「郷愁」では救いえないという。

 さて、1960年と2015年の〈ふたつの「安保闘争」〉は似ているのか似ていないのか。 ・・・ログインして読む
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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

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