「次の時代」への兆候
2015年09月30日
安保闘争のなかで命を落とした樺美智子の遺稿集『人しれず微笑まん』(1960)の口絵には、美智子が使っていた勉強部屋の写真が掲載されている。
脇に見える本棚には『資本論』。床に置かれた手提げ鞄には、白いショールのようなものがそっと掛けられている。
『人しれず微笑まん』は、母親・光子の周到な編集によって、ブント草創期からの活動家だった美智子の素顔を消し去り、“民主主義の危機に際して立ち上がったふつうの女子学生”を演出することで、彼女を「聖化」した。
ブントの方針と自治会の現実のギャップに煩悶した美智子の表情は見えなくなっている。「ここで美智子さんは勉強していた」という口絵のキャプションは、虚偽を語っているわけではないが、彼女の生と死にベールをかけている。
安保闘争を振り返って、「擬制の終焉」(1960)を書いた吉本隆明は、丸山真男に代表される「市民民主主義」を強く批判し、人々をほんとうに突き動かしたのは、「戦後一五年の間に拡大膨張した独占秩序からの疎外感にほかならなかった」と論じた(『民主主義の神話――安保闘争の思想的総括』共著、1960)。
また大島渚の『日本の夜と霧』(1960)は、安保闘争終息直後、左翼党派の確執という前代未聞のテーマに正面から迫った。日共の方針転換と内部分裂の時代を生きた年長世代と、安保闘争を闘ったばかりの年少世代が結婚式の場で、各自の悔恨と憎悪を朗読劇のように延々と語り続ける映画だった。
吉本や大島は、安保闘争が「民主主義の神話」に回収され、ひいてはナショナリズムに繰り込まれることに危機感を抱いていた。
彼らからすれば、安保闘争は民主主義擁護をかかげる一色の大衆によって闘われたわけではなく、戦闘的で本質的な勢力と、融和的で偽装的な勢力のつばぜり合いを伴って闘われたのである。彼らにとって、それはけっして忘れることのできない事実であり、安保の文化の前提をなすものだった。
他方、2015年安保闘争の「大同団結」は、安保関連法案に反対する野党をほぼすべて巻き込み、集会やデモには、厳しい衝突を重ねてきた新左翼党派が旗を並べる場面もあった。
有料会員の方はログインページに進み、デジタル版のIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞社の言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください