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「なんでもあり」だったベネチア映画祭(下)

日本映画は埋もれてしまったのか

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

 評論家の間であまり話題にならず、賞も取れなかった作品も、これまでの映画の枠にはまらないような野心的な試みが目立った。

 ローリー・アンダーソン監督の『犬の心』は、映像による日記のような形式で、本人のナレーションと共に日常の映像が流れる。美術館で展示する映像作品に近いものだったが、これを映画祭のコンペで見せることに意義があるのだろう。

 中国のザオ・リャンのドキュメンタリー『べへモス』は、四川省の鉱山の悲惨さをひたすら写す。後半の肺病になった人々のシーンや無数の高層マンション群の長いショットも含めて、中国のマイナス面をこれでもかと見せる映画がベネチアのコンペに選ばれたことに、中国当局は顔をしかめているのではないか。

多種多様なイタリア作品

 コンペの全21作品を紹介はできないが、地元イタリアからの4作品については触れておきたい。

 巨匠ベロッキオの傑作については(上)で書いたが、そのほかは悪趣味も含めてあえて多様な映画を揃えた観があった。

あなたたちへの愛のために」.『あなたたちへの愛のために』
 ヴァレリア・ゴリーノが主演女優賞を得た『あなたたちへの愛のために』は、ミュージック・ビデオのような映像処理が気になるけれど、現代の若者には支持されそうな映画だった。

 地元から最低ひとつは賞を出すのがベネチアの通例になりつつありが、この映画はゴリーノが仕事と恋と子育てに悩む姿を克明に描いており、彼女のこれまでのキャリアを考えると賞を取ってよかったと思う。

 ピエロ・メッシーナの第1回長篇『待つ』は、フランスのジュリエット・ビノシュを主演に迎え、丁寧に撮られた凝った映像がいささか空回りしているが、なかなかの力作で今後に期待したい。

 ルカ・グァダニーノ監督『ビッガー・スプラッシュ』はティルダ・スウィントンを起用したほとんど英語の映画で、悪趣味な映像と音楽が全体を支配しているが、ある種の強引な馬鹿力の溢れた作品。

 映画祭ディレクターのアベルト・バルベラが熟知しているはずのイタリアから、このような多種多様な映画が選ばれたことに、今回のセレクションの特徴が如実に表れていると思う。

拍手にこたえるワイズマン監督(撮影・筆者)拍手にこたえるワイズマン監督=撮影・筆者
 「コンペ外作品」だが、フレデリック・ワイズマンの3時間10分のドキュメンタリー『ジャクソン・ハイツで』にこの映画祭で最も感銘を受けたことも付け加えておきたい。

 ニューヨークのジャクソン・ハイツという地区では、ヒスパニックを始めとして、アジア系、中東系、アフリカ系などあらゆる国の移民が合法、非合法で流れ込み、160以上の言葉が話されている。

 不満を持ちながらもみんなが助け合って生きている姿に、都市における「コミュニティ」という存在の重要性を改めて感じさせる。

 最近のワイズマンはクレージー・ホースやパリ・オペラ座、ナショナル・ギャラリーなどの特殊な世界を描いてきたけれど、こちらの方が本領を発揮しているように見えた。

 さて、前回少し触れたが、「朝日」記事(9月18日付)の問題は、

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