大江健三郎 古井由吉 著
2015年10月16日
『新潮』(10月号)に、「漱石100年後の小説家」と題された、短い大江・古井対談が載った。その冒頭で、古井由吉は大江健三郎に向かい、「……『漱石100年後』というと遠い昔のようですが、大江さんはもう八十歳になられ、私も間もなく八十歳です。つまりは漱石が亡くなって約二十年で私達は生まれている。そう考えると、夏目漱石という人は遠いようでいて、かなり近い作家だという気もしてくるんです」と言っている。
これと同じ言葉が、他ならぬこの二人の先達と、私たち後続世代との関係についても妥当するのか。
だが、その私たちに、漱石の誕生からでなく死後20年ほど経って生まれた二人が、漱石を「遠いようでいて、かなり近い」と言うほどにも、彼と彼ら二人のことを近く感じることが果たしてできるのか。
この疑問は、あざとく言えば、日本の文学のオーソドキシーを貫いてきただろうある文学的な関心の連続性が、この間のグローバリゼーションや、あの3月11日の出来事といった未曽有の出来事を前にして、どこかで揺らいではいないかという、いささか下品な憶測に基づくものだった。
私は古井の冒頭の正直な感想に、ある意味、逆説的に触発され、妙な不安の入り混じるなくもがなの興味を覚えて、本書を手にとった。
そこには怖いもの見たさという、文学への関心とは別の卑しい心があったことが否めないのだが。
その卑しさの罪滅ぼしに、読後の印象を先に言っておく。この疑問は、杞憂だった。文学のオーソドキシーは、揺らぎつつも、頑として屹立していた。揺らぐことにおいて揺るがない、それこそが文学だとでも言うように。
本書には、「漱石100年後の小説家」の対話以前に行われた二人の対談がすべて掲載されている。
古くは1992年に『群像』(93年1月号)誌上で「小説・死と再生」と題して行われた「明快にして難解な言葉」という対話から、新しいものでは「漱石100年後の小説家」直前の『新潮』2015年3月号に掲載された「文学の伝承」という対話まで。それぞれ独立した話題の対談が時系列順に並べられている。
勘定すると、この間23年に断続的に行われてきた都合5つの対話が存在し、そのあいだに、ミレニアム前後の社会の混乱、そして3.11などが挟まれていたことになる。
そこで、前記の興味と疑問に本書はどう答えてくれたのか。
二人は批評的な実作者ではあっても、決して批評家そのものではない。だから必ずしも分析的に意を尽くして説明してくれるわけではないが、その代わり「淵を渡る」ような言葉を随所に散りばめ、この時代を生きる確かな文学的エートスを、次のように象徴的な言葉で語るのだ。
たとえば、震災後の2014年に行われた「言葉の宙に迷い、カオスを渡る」の対話で語られる、大江の苦くて率直な感慨は次のようなものだ――「僕は以前、ナボコフの『賜物(ザ・ギフト)』という小説から、想像(原文ママ)した作者はいなくなるが、創造された人物は残っている、と楽観的な台詞を引用したことがありました。しかしいま、自分についても自分の作品についても、もっとシビアに考えます。つまり僕は、『作中人物も作者も遠からずいなくなっている』、というのが実際だろうと思っているんです」――この言葉に3.11を思い浮かべた私の眼に入ってきたのは、すぐに続いている次のような希望の言葉だ――「ところが(斜体筆者)、このところ『文学の読者は生きている』ということを思うんです。私の読者という意味じゃないですよ。今日、本を読む人がいて、過去に読んだ本を思い出している人がいる、将来も本を読んでくれる人はいるだろうと、文学の読者の存在を信頼しているんです」――
かつては難解で鳴らしたことのある、いまは年老いた大江の、この若者のような述懐はどうだろう。
ここにあるのは、多くの文学的な苦難を経てきたからこそ言える、単純明快で、だからこそ難解な希望なのではないか。
そして、これと呼応する古井の言葉は、遡って1993年の、最も古い「明快にして難解な言葉」の対話の中で、まるで予言のごとくにこう語られているのだ。――「難解そのものが明快ということはない。けれども、明快そのものは難解である。……それには当然後段があるわけで、それが大勢の人間と共通なものになるか、通底するか、その問題なんですね。私という人間の形がプリズムとなって、明快かつ難解に光る。最後はそうなるのですけれども、私という個別が単なる個別に留まったら非常に苦しい。個別の中に類型が映ってくれれば、人と折り合える」――つまり、個別に類型が映る難解さの中にこそ、単純で力強い、文学でしか表せない希望があるのだ、と……。
かくして、本書の末尾に置かれた「文学の伝承」という対話の最後で、古井は語る。「こうやって話をしてると、それなりに〈わたくし離れ〉ができるんでありがたいです。〈わたくし〉、〈わたくし〉と追い詰められると、口が利けなくなりますから」、と。
私という人間がプリズムになる方向と、〈わたくし〉に追いつめられると〈わたくし離れ〉ができず口も利けなくなるという、矛盾を孕んだ二つの方向の間で、日本の近代文学は「私小説」という独特の表現形式を巡り、喘ぎ、揺らいできた。
その文学的蓄積を前に、年老いた二人の巨人がこれをどう評価し、そしてこれからどのように「文学の淵」を渡ろうとするのか。
その覚悟の一端は、大江の言う「読者」という言葉や、古井の言う「人と折り合う」という言い回しから感じることができると思うが、より具体的には、「百年の短編小説を読む」という第二の対話の中にある、『新潮』に創刊以来掲載された短編小説の中から選ばれた、漱石の「身の上話」から中上健次の「重力の都」までの全35編の作品の意味合いをめぐる語らいの中でも探ることができると思う。
因みに、この35編と二人の対話を含め、この100年の『新潮』に掲載された主な「評論・エッセイ」や「詩」などが一気に読める『新潮名作選 百年の文学』(新潮社100年記念[新潮]臨時増刊、1996年)は、本書の副読本としてはもちろん、またとないガイド付きの、アンソロジーとしてお薦めだ。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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