林瑞絵(はやし・みずえ) フリーライター、映画ジャーナリスト
フリーライター、映画ジャーナリスト。1972年、札幌市生まれ。大学卒業後、映画宣伝業を経て渡仏。現在はパリに在住し、映画、子育て、旅行、フランスの文化・社会一般について執筆する。著書に『フランス映画どこへ行く――ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』(花伝社/「キネマ旬報映画本大賞2011」で第7位)、『パリの子育て・親育て』(花伝社)がある。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
前項で見てきた通り、カンヌ映画祭はレスキュール会長を意図的に選出した。
それはカンヌ映画祭が多文化や作家映画に繊細な目を注げるクレマンより、あらゆる業界に顔がきき、ダイナミックな交渉力もお手の物、大国との関係を深めながら国際映画祭を盛り上げることができそうなレスキュールを欲したと言えそうだ。
カンヌ映画祭は、「もうこの時代、質の高い映画の上映が映画祭の注目につながるわけではない。スターを引っ張ってきたり、話題のイベントを用意することでメディアに注目される話題を打ち上げないと映画祭の未来はない」ということに自覚的だ。
まずは “世界一の映画祭”という立派な城を築き、そのオーラの中で作家映画を有機的に紹介していくという現実路線を取っているのだ。
この現実路線は、ジル・ジャコブが会長に就任した2001年頃から始まっている。
そして実際、ジャコブがティエリー・フレモーにディレクター職のバトンを受け渡す際には、積極的にアメリカとのパイプを築いていくことを強く求めた。
その要請を受けたフレモーは、今も年に3度はハリウッドに渡ってメジャー会社の重鎮と顔をつなぎ、いち早く新作の情報を得るようにしている。
こうしてとりわけ2000年代以降、カンヌ映画祭においてはアメリカ映画やハリウッドスターの存在感が増してきたと言われる。
ちなみに、奇妙に思えるかもしないが、アメリカ好きのレスキュールが加わった2015年のカンヌ映画祭だが、蓋を開けたら、意外にもアメリカ映画の紹介は少なめな年であった。