庄司武史 著
2015年11月26日
この本の「すごさ」を知るために、たとえば、次のような記述を引いてみよう。
〈筆者(著者のこと)は、戦中の限られた期間であるが、清水が「読売報知」紙……に執筆したとみられる社説一〇六篇すべてを点検した。〉
『清水幾太郎――異彩の学匠の思想と実践』(庄司武史 著 ミネルヴァ書房) 定価:本体6500円+税
「戦争協力」「時局迎合」といったフレーズによって当時の清水を語る言説は少なくない。
だが、それらは果たして、このような「点検」を経て、書かれたものなのか。著者はさりげなく、こう問いかけているのである。
ある年齢以上の人には、「清水幾太郎」という名前には刷り込まれたイメージがあるだろう。
それは、ごく短く語れば、「戦後の進歩的知識人を代表する論客として内灘闘争や『60年安保』で華々しく活躍したものの、その後、『日本よ 国家たれ――核の選択』などの著書を書き、『右旋回』した変節の人物」――といったところだろう。
清水を語る言説は、ごく一部をのぞけば、こうしたイメージを上書きするものだった。
たとえば、小熊英二『清水幾太郎――ある戦後知識人の軌跡』(2003年刊)は、「清水には、思想家としてのオリジナリティや一貫性は、存在するとは言いがたい。しかし彼には、庶民の心情を嗅ぎとり、それを巧みな文章技術で表現する能力があった。それゆえ彼は結果として、時代の風潮の変化を、敏感に体現した人物となっていった」と記している。
これらの「上書き言説」は、多くの場合、清水が残した自伝や回想的文章を中心に、論壇誌などに寄稿した時局的文章をパッチワークして書かれている。
しかし、こうした表層的な接近では清水の思想と行動の全体像を明らかにできないというのが、著者の出発点である。
清水が戦時中に書いた社説をすべて点検したように、著者はひたすら彼が残した膨大な著作に立ち向かう(巻末の「清水幾太郎著述・関係資料」には130点を超える著書・論文等が並んでいる)。
コントの研究から社会学者としてのスタートを切り、やがて、デューイと出会い、著者の言葉を使えば、〈批判的社会学者の枠を超えて思想家として立つ〉まで。この間のマルクス主義とのかかわり。著者は清水の著作の丹念な内在的な分析を通じて、彼の思想形成に光を当てる。
コントにしてもデューイにしても清水に対する影響はこれまでも語られてきた。しかし、それらは――ふたたび同じ言葉を使えば――表層的だった。著者は、清水の著作をていねいに分析することを通じて彼がコントやデューイから何を得たのかを明らかにする。
さらに、デューイを介することによってコント理解が深まった経緯にもふれる。重層的な視点と言っていい。
こうして形成された清水の社会・個人観を、著者は「現実関与の論理」と呼ぶ。さらに、ふつうの人びとへの関心、人間の非合理への理解といった観点が加えられる。
哲学者の西田幾多郎の言葉を引き、清水が使ったラテン語の「クレアタ・エト・クレアンス(作られ、かつ作られる)」にも注目する。人は社会によって作られるとともに社会を作るのである。
清水における「現実関与」と言えば、だれでも「60年安保」における彼の行動を思い起こすだろう。
著者は「60年安保」を直接取り上げるかたちではなく、1952年、米軍の砲弾試射場設置をめぐって起きた内灘闘争に着目する。そこにはすでに「60年安保」における清水の行動を理解する思考の特徴があるというのだ。
内灘闘争で清水は「幅広主義」を唱えた。内灘村住民の多様な意識など、「基地のない社会」という理想を実現するには多くの障害がある。こうした限界を乗り越えるためには幅広い、多様な人間や集団との積極的な連携が必要だとする考え方である。
この「幅広主義」に対して清水自身、「60年安保」の闘争の中で懐疑的になっていく。著者は1956年に書かれた「組織と人間」やカール・シュミット「友―敵理論」を参照しつつ、この間、清水が直面した問題を解き明かそうとしている。
清水の「右旋回」と言われる問題について、著者は〈少なくとも「左」や「右」といったイデオロギー的な視点からの関心は持っていない〉と語る。
「右旋回」とされた著作にリアルタイムで接した年長の者として、1978年生まれの著者ならではの言明と思いつつも、基本的には納得した。そう、もはや「左」やら「右」やらは、少なくとも思想を吟味する軸として何の有効性もないのだ。
清水幾太郎はたしかに振幅の激しい生涯を生きた。だが、「思想家としてのオリジナリティや一貫性」がなかったわけではない。
むろん、そこには挫折があった。だが、重要なことは、いくつもの未発の契機もまた存在することだろう。
「上書き」ではないかたちの「清水幾太郎研究」を切り開いた力作である。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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