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[書評]『ロマネスク美術革命』

金沢百枝 著

松本裕喜 編集者

「石の言葉」を聴け  

 この本を書店で手にしたとき、そんなにポピュラーでないテーマの本が手頃な値段で出ているなと思った。

『ロマネスク美術革命』(金沢百枝 著 新潮選書) 定価:本体1400円+税拡大『ロマネスク美術革命』(金沢百枝 著 新潮選書) 定価:本体1400円+税
 たまには美術関係の本を読んでみるかぐらいのかるい気持ちで買ってみた。

 しかし読み始めると、不思議なもの・異様な造形へのまなざしの力とでもいえばいいのか、著者のロマネスクの美術・建築へのまっすぐな探求心に引き込まれた。

 著者の撮影したものを含め、ディテールまでよくわかる写真が鮮明な画像で数多く掲載されているのも、この本の魅力である。

 ロマネスク美術を代表するのは、11世紀半ばから12世紀にかけて建てられた聖堂である。そうした聖堂は、近代化の波から取り残されたヨーロッパの田舎町にしか残っていない。

 そこで著者が探すのは、持ち送り(屋根を支える部材)や柱頭、扉口まわりに彫刻された装飾である。

 西洋建築の装飾といえば、植物文様や幾何学文様が思い浮かぶが、ロマネスクの文様には、さまざまな動物、人間、さらには怪獣が彫り込まれている。

 ぬいぐるみのようなかわいらしいイヌやウサギがいるかと思うと、頬を寄せて踊っている男と女、みずから女陰を開く(宇宙人のような)女の像まである。いずれもイギリスの田舎町キルベックの聖堂にある石の持ち送り彫刻である。

 女陰を開く女(シーラ・ナ・ギク)は、イングランドとアイルランドの聖堂や城に多く残ることからケルト起源とされ、「魔除け」とも、「豊穣祈願」や「多産祈願」ともみられる一方、キリスト教的見地から「肉欲の縛(いまし)め」とする見方もあるそうだ。

 11世紀のヨーロッパでは、封建制の確立、農業の進歩、聖地巡礼の流行などによって、聖堂の建設ブームが起こったという。著者はこの建設ブームが、古代の美学とは根本的に異なるロマネスク美術を生み出す契機になったとみる。量的な変化が質的な変化を生んだのである。

 聖堂の柱頭彫刻においては、古代ギリシアのドーリア式、イオニア式、コリント式、ローマのコンポジット式が建築の規範だった。アカンサスの葉叢(はむら)と渦巻きのデザインである。

 しかしロマネスクの聖堂では、葉の先が人の顔になったり、葉陰から顔がのぞいたり、また「受胎告知」「ヨハネ黙示録」などの聖書の物語が刻み込まれた柱頭のデザインが出現する。渦巻きや葉叢に変わって、聖人や動物たちが物語をつむぎ始めたのだ。

 「葉叢からのぞくおじさんのギョロ目、葉の上で足をぶらんぶらんさせる小人、そんな意外な細部を見つけるのは素直に楽しい。中世の彫刻家たちは、柱頭という狭くて制約のある描写空間を巧みにつかって人物を造形し、物語を展開してみせた。その醍醐味を味わう幸福は、ロマネスク聖堂にしかない」と著者はいう。

 聖堂正面の扉口は聖域である堂内と俗界である外部との境目であり、その上部(ティンバヌム)には、「最後の審判」の場面などの複雑で壮麗な彫刻がほどこされた。中央に座すキリストの姿は大きく、まわりの罪人や死者、善人たちの姿は不自然なまでにねじれ、引き伸ばされたり丸くなったりしている。

 美術史の世界では、これをスペースに合わせてデザインされた結果だとする「枠組みの法則」が有力な説だそうだが、彫り手たちは「枠組み」に縛られたのではなく、むしろ意図して「歪み」を作り出し、善人と悪人の希望と絶望を対比させたのではないかと著者は推測する。

 ヨーロッパの南の地中海文化と北のケルト・ゲルマン文化が融合したのが8世紀のカロリング期、それが一般化したのがロマネスク期で、古代ローマの文化がロマネスク美術に「形式」と「図像」を伝え、ゲルマン文化が「動き」をもたらした。

 ケルト写本の影響を受けた中世装飾写本のイニシャル(頭文字)装飾には、文字という「枠」を逆手に取った自由闊達な表現がみられる。またヨーロッパ最古の刺繍の一つ「バイユーのタピストリー」(フランス)にも、上下と左右に枠が設けられている。

 こうした「枠」との緊張関係の上に成り立つ動的エネルギーが、ロマネスク美術の精髄と著者はみる。

 では、どんな人たちがロマネスクの作品を作ったのだろう。

 作品の隅に描かれた自画像や署名から、建築職人や石工、祭壇などを作った金工細工師、扉などを作ったブロンズ師、タイルの床などを作ったモザイク師、写本を作った写字生・装飾画家、刺繍布を作った女性たちの存在がたどられている。

 ロマネスク期の署名は、「誰々が作った」ではなく「誰々、我を作りき」と、作られた作品自身が語るかたちになっていたとの面白い指摘もある。

 おそらくは公共の交通機関もあるかないかの僻地にしか、こうしたロマネスク聖堂は残っていないだろう。「あとがき」で著者は、「未見のロマネスク建築はごまんとある。ロマネスク探求の旅は、まだ峠をひとつ越えたばかり」というが、よくもこれだけの旅を続け、ユーモラスな動物や人間たちの石の彫刻を掘り起こしてしてくれたものだ。

 「書かれた言葉」よりも「石の言葉」(=彫られた石の表現するもの)に耳を傾けながら、ロマネスク美術の謎と魅力を読み解こうとする著者の柔らかな姿勢にも共感した。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

松本裕喜

松本裕喜(まつもと・ひろき) 編集者

1949年生まれ。40年間、三省堂で書籍を編集。主な仕事に建築・都市をテーマにした『日本の建築明治大正昭和』(全10巻)、『都市のジャーナリズム』や、歴史・思想ジャンルの『江戸東京学事典』『戦後史大事典』『哲学大図鑑』『心理学大図鑑』など、また言葉・詩歌がテーマの『一語の辞典』『新明解故事ことわざ辞典』『三省堂名歌名句辞典』などがある。2013年退職後、俳句雑誌『鬼』編集長。本をじっくり読むのが、強み、読むのが遅いのが、弱点。