加害者としての存在
2015年12月07日
古い『朝日ジャーナル』を屋根裏の段ボール箱の中から探し出した。
1969年1月5日号。特集は「造反時代」である。巻頭記事「ルポ・ある青年学究の軌跡」は、東京大学の都市工学科大学院に在籍する川島宏が、都市計画に憧れて東大に入学し、しだいにその学のあり方に疑問を持ち、折から勃興した東大闘争の中で、自身の生き方を見つめ直すようになった「軌跡」を描いている。
18日から19日にかけて、講堂内には400人弱の学生が立てこもり、8000人の機動隊とわたりあった。
2日間の闘いをテレビは、生中継し、高視聴率を稼いだ。48本の特別番組は延べ21時間に及んだという。
私は高校2年生だった。まだ、「闘争」や「運動」についてのどんな観念も持ち合わせていなかった。
ひたすらテレビを見つめ、これから何が起きるのかとぼんやり考えていた。
川島宏を扱った『朝日ジャーナル』のルポをいつ読んだのか定かではない。ただおそらく「東大全共闘」に関する私の最初の知識は、この記事によっていたにちがいない。
記者の西岡正は、こんなふうに書いている。
東大闘争の一つの特徴は、助手、大学院生の積極的参加である。なかでも都市工の院生は屈強である。みんな落ちても医学部とここだけは残ると、多くの人がいう。現にかれらは駒場第八本館や公開予備集会の会場・法文25番教室の封鎖には、主力であった。川島君の姿は、つねに、その赤ヘルメットの中にあった。(「ルポ・ある青年学究の軌跡」)
助手や大学院生がどんな人々なのか見当がつかなかったが、さすがに東大はすごいと思った。
また強く印象に残ったのは、25歳の川島がすでに結婚していることだった。
構内のデモを終え、
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