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[書評]『つかこうへい正伝』

長谷川康夫 著

上原昌弘 編集者・ジーグレイプ

青春時代を猛烈に思い起こさせる  

 今では想像もつかないだろう。1980年前後は「暗い」ということを何よりも恐れた時代だった。イケメンを指す言葉が「明るいやつ」で、Badなフレーズが「あいつ、暗え〜」であった。当時、判断基準はこの二極しか存在しなかった。

 そして演劇科の学生にとって、寺山修司や唐十郎や佐藤信などのアングラ上がりは「暗く」、若いつかこうへいと野田秀樹は「明るい」存在だった。

 彼らの演し物の内容によって分類されたのではない。ただのイメージである。授業の帰りに「よいしょ!」のかけ声で詰め込まれる200円のテント芝居と、デートで見る2000円の紀伊國屋ホールのつかこうへい、というくらいの違いがあった。

 当然のことだが、80年代に新進気鋭の劇作家や演出家はみな、作品の内容とは無関係に「明るさ」イメージを前面に押し出していた。前時代のアングラの残滓を払拭しないと、客が来ないのである。これは劇団員であったわたし自身の、当時の体験からも断言できる。

 本書は、そんな「明るい」小劇場ブームの創始者、つかの1968年から82年にわたる詳細な評伝である(つかが芝居なるものを知った1968年から、直木賞をとり、劇団解散に至る82年まで)。

『つかこうへい正伝 1968-1982』(長谷川康夫 著 新潮社) 定価:本体3000円+税拡大『つかこうへい正伝 1968-1982』(長谷川康夫 著 新潮社) 定価:本体3000円+税
 つかは世代的にはわれわれの上だった。そのせいか、「姑息な明るさ」の身振りが存在しないことが嬉しかった。

 根本にあるのはイオネスコのようなハチャメチャな不条理劇であるが、過剰な「男はつらいよ」的饒舌が全編を支配する。

 そして物語構成の基本はワンパターンで、当初はブサイクで「暗い」と思われた人物が、「明るい」イケメンを駆逐し、顚倒的に支配するのである。

 巧みに隠されているが、女性はヒエラルキーの埒外で、つねにマドンナとして添え物的に配置される。

 有象無象の小劇場の芝居と違い、結果的に誰も傷つけない、健全な芝居である。

 観客を絶望させることはない。商業演劇のテイストを小劇場にぶちこんで、異和を生じさせたことで目立ったのである。

 やがてバブルまぎわのビジネスの熱気により、若者が見ても恥ずかしくない、つかの大衆演劇が大流行するに至った。観客であるわれわれも、はっきりとつかの芝居は大人への登竜門であると認識して並んでいたのである。つかはオトナ文化を若者言葉に翻訳してくれる人であった。

 おそらく、小劇場の芝居に門外漢の方にとっては驚きの連続の内容だと思う。とくに劇団の主宰者のパワハラの連続には目を剝(む)くであろう。この上なく温厚な美女、如月小春ですら、稽古場では常時豹変していた。リアルに灰皿が飛ぶ現場も目撃している。

 稽古しながら戯曲が完成する「口立て」芝居も当たり前のことで、多かれ少なかれ現場はこんなものである。

 あらゆる主宰者は公演前はつねに強気でファナティックであり、「有名になるんだ」という虚栄心に満ちている。ドーパミンが出まくっている。だが公演後はしょんぼりし、意気阻喪し、万事に飽きてしまう。だから脱落者はあとを絶たない(わたし自身も脱落者である)。

 だが役者である著者は「はあ」という諦念をふくんだ口癖とともに、『蒲田行進曲』の「ヤス」(長谷川の名からとられていることはいうまでもない)さながらに、つか(=銀ちゃん)の横暴に堪えぬいて、伴走しながら生きてゆく。

 ラストで、つかが勝手に団員への相談も報告もなく解散を決めたときに「ほっとした」のは、むしろ読者のほうではあるまいか。

 わたしにとって衝撃であったのは、したがって演劇に関する部分ではない。じつはつかには「文才」がさほどなく、基本的に評価の高かった作品はすべてゴーストに頼っていたという証言である。

 「口立て」芝居自体が、役者の言葉を戯曲に取り入れるゴーストであるが、それをそのまま小説にも援用したわけである。直木賞をとった小説やエッセイも「口立て」により劇団員たちに口頭でネタを指示、彼らが書きあげた原稿に赤字を入れて完成させている。

 当然ながら劇団の解散とともにゴーストもいなくなり、つかの書くものからパワーは失われて行った。この本にはその転落振りはあまり描かれていないが、晩年の20年は自己模倣の連続であったと思う。

 つかの芝居がどうやって生まれて消えて行ったのか。もっとも身近にいたつかの同士、長谷川康夫はつかに密着しているようで、じつは70年安保という宴のあとの白けた雰囲気のなかで根無し草のようにさまよう彼自身の、自分探しの旅を描いている。

 視点の根本は長谷川康夫自身にあり、彼の目にうつったつかこうへいしか基本的には描かれない。

 もちろん、関係者(つかが大学時代に恋した堀田善衞の娘さんや、風間杜夫や根岸季江など)への取材は随所になされ、インタビューの内容もきちんと書き起こされているが、すべては主観を補完する些末な引用でしかない。

 読みながら、つかの評伝なのか、長谷川の自伝なのか、奇妙に頭の中がぐるぐるすることは否めない。それでも、この本は、わたしに自分の青春時代を猛烈に思い起こさせてくれた。ぜひとも2015年の極私的「いける本大賞」に推したいと思うのである。

 *ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

上原昌弘

上原昌弘(うえはら・まさひろ) 編集者・ジーグレイプ

1961年生まれ。早稲田大学第一文学部演劇科卒。大学時代、産経新聞と北海道新聞と新書館(後に入社)の3社かけもちで働く。卒論はヒッチコック。月刊コミック誌、バレエ雑誌、思想誌『大航海』などを編集。また書籍では、川本三郎『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞受賞)、『小津安二郎全集』、『車谷長吉全集』(いずれも新書館)などを編集。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです