三浦英之 著
2016年01月09日
場所はカザフスタン・アルマトイ国際空港。車いすで到着した小柄な日本人男性を、大きな体のロシア人が抱きかかえて泣きじゃくる。戦争で離ればなれになった、かつての大学の同級生の、65年ぶりの再会。テレビのドキュメンタリーだったら泣かせどころの場面。
だが、彼らが「建国大学」の同級生だったという歴史によって、それはただの美談ではない、深い陰影を帯びてくる。
満州国の国是であった「五族協和」を実践するために、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアから優秀な若者を選抜。
6年制の全寮制で学費は無料、在学中は月5円の手当も支給された。満州国の将来を担うエリート養成を目指した国策大学である。
建国大学の出身者は約1400人。そのうち、現在生存が確認されているのは、約350人。残りの大半は、安否さえ分かっていないという。
1945年の日本の敗戦と同時に崩壊した建国大学の卒業生は、戦後どのような人生を送ったのか。本書は、生存者へのインタビューなどから、その足跡をたどったノンフィクションである。
『五色の虹――満州建国大学卒業生たちの戦後』(三浦英之 著 集英社)
著者は1974年生まれの朝日新聞記者。2015年の開高健ノンフィクション賞を受賞して書籍化された。
建国大学について取材を始めようとした著者は、いきなり壁にぶちあたる。
建国大学についての書籍は驚くほど少ないのだという。それは卒業生たちが、自らの過去を、公の目に触れる記録として残すことを極度に恐れてきたからだ。なぜか?
日本人の卒業生は、満州国の国策大学出身の「侵略者」というレッテルを貼られ、さらに、敗戦後にソ連軍の捕虜となり抑留生活を送った者は、赤化教育を受けた「共産主義者」というレッテルまで貼られた。
優秀な頭脳と語学力を有しながら、多くは職に就くこともままならず、不遇の人生を送ることとなった。
中国人の卒業生はもっと悲惨だ。「日本の帝国主義への協力者」と見なされ、その後の国共内戦や文化大革命で、逮捕され、拷問を受け、強制労働を強いられ、多くが命を落とした。
迫害は決して過去のことではない。卒業生がいまだに当局から危険分子と見なされ、多くの制約を受けていることが、著者が生存者へのインタビューのために大連・長春を訪れたくだりで、生々しく描かれている。
モンゴル人やロシア人の卒業生も、同じような苦汁を味わっている(ちなみに、朝鮮人の卒業生だけが、日本の軍事知識を習得してきた点を買われて、戦後の韓国で厚遇されたのだという)。
ゆえに彼らの多くは、自らの保身のためだけでなく、他国の同窓生やその家族に弾圧・迫害の手が及ぶことを恐れて、建国大学出身であることを隠し、身をひそめるようにして、戦後70年を生きてきたのだ。
外部に対して口を閉ざす一方で、卒業生たちの間では強いネットワークがつくられる。
国家間の国交が断絶している期間であっても特殊なルートで連絡先をたどり、約1400人の氏名や学籍番号を記した『建国大学同窓会名簿』が更新されてきた。日本では、毎年同窓会が開かれ、行方不明者の消息をたどる活動も行われてきた。
本書の完成も、個人の日記などの資料の提供、海外にいる生存者へのインタビュー、事実関係の確認など、同窓会の全面的なバックアップなしでは、不可能だったという。
建国大学のカリキュラムの3分の1は語学で(公用語である日本語と中国語のほか、英語・ドイツ語・フランス語・ロシア語・モンゴル語などを自由に選択できた)、講師には各国から著名な学者を招聘。また、授業だけでなく、食事・睡眠などすべてを異民族と共にすることを求められたという。それはまさに「グローバル教育」だ。
特筆すべきは、学内では「言論の自由」が保障されていたことだ。寮では毎夜のように「座談会」が開かれ、日本政府への批判も自由だった。中国人や朝鮮人学生が日本人学生に対し、日本の植民地政策を激しく非難し、深刻な喧嘩になることも日常茶飯事だったという。
「五族協和」は、日本政府が傀儡政権を正当化するための欺瞞にすぎないことを、学生たちは(もちろん日本人学生も)認識していた。
それでも彼らの多くは、自らの力でその綺麗事を実現できるかもしれないという希望を抱いていた。彼らは、歴史も文化も異なる多民族が、衝突を乗り越えて共に生きることは可能なのかという問いに、最も真剣に向き合っていた若者たちだった。
だからこそ、建国大学での体験は、卒業生たちの人格の核となり、その後の苦難に満ちた人生の拠りどころともなった。
あるロシア人の卒業生は、日本語を自由に操れることが、自分が優れた教育を受けたことの証であり誇りであるとして、戦後の収容所生活の間も、監視の目を盗んで、日本語の勉強を続けたという。
建国大学の数少ない研究者である宮沢恵理子氏は、著者の質問に答えて、「(建国大学は)正直に言って、国際教育という点から見れば、かなり成功していると思います」「それが大学の真の設立目的ではなかったにもかかわらず――」と述べている。
だから、建国大学は、帝国主義の日本が傀儡国家のPRのためにつくった国策大学なのだが、それは100%否定されるべきものではなく、志ある優秀な若者たちの目を世界に向けて開かせ、人格形成の核ともなった、価値ある場でもあったのだ――と締めくくれば、それはそれで美しい物語だ(最近の「日本われぼめ」ブームにも乗っかれる)。
だが著者はそうは終わらせない。
著者が追いかけた卒業生たちの戦後は、歴史に翻弄される人間の悲劇、とりわけ加害者側の歴史を負わされて生きる人生の不条理をまざまざと伝え、読み手に、カタルシスのような涙を許さない。そのような著者の姿勢が卒業生の証言を引き出し、歴史の闇に光が当たった。
「歴史は繰り返す」という言葉も、「悲劇を繰り返してはならない」という言葉も陳腐だ。
だけれど、本書を読み終えて、戦後70年目の日本で戦争反対を掲げて立ち上がったのも、ヨーロッパ社会で受け入れられずISの兵士を志願するイスラム系移民も、みな、建国大学に集ったのと同じ「若者たち」であることを思わずにいられない。
登場する多くの卒業生が、本書の刊行を見ずして鬼籍に入った。記録に残す最後のチャンスをとらえた貴重な書であり、いまを生きる世界中の若者たちの平和な未来のために、いま読まれるべき一冊である。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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