アン・ヴァン・ディーンデレン、ディディエ・ヴォルカールト 編著 塩﨑香織 訳
2016年01月22日
日本人は名作物語が大好きだ。
「イソップ物語」は、「伊曾保物語」として江戸初期から翻案されてきたし、「ロビンソン・クルーソー」なども江戸末期から翻案されている。明治期には「十五少年漂流記」「小公女」「家なき子」「ハイジ」を始め、グリムやアンデルセンの童話もつぎつぎと翻訳出版され、今日に至るまで子どもたちに読まれ続けてきた。
「フランダースの犬」が最初に邦訳されたのは、1908(明治41)年だというが、圧倒的な影響力で浸透したのは、1975年に「カルピスこども劇場」のテレビアニメが放映されてからであろう。
このテレビアニメシリーズは、「世界名作劇場」とも呼ばれ、「アルプスの少女ハイジ」や「赤毛のアン」「小公女セーラ」など、日本人に周知の世界の名作童話を取り上げ、長い間人気を呼び、再三リピートもされてきた。見たことのある人はかなり多いに違いない。
しかし「ハイジ」や「フランダースの犬」は、その舞台となったご当地では意外に知られていない。「赤毛のアン」にしても、舞台となったプリンス・エドワード島には日本からのツアー客が多いが、カナダではそれほど広く知られているわけではないようだ。
『誰がネロとパトラッシュを殺すのか――日本人が知らないフランダースの犬』(アン・ヴァン・ディーンデレン、ディディエ・ヴォルカールト 編著 塩﨑香織 訳 岩波書店)
著者らは、彼らが制作したドキュメンタリー映画、『パトラッシュ、フランダースの犬――メイド・イン・ジャパン』(2008年)のテーマを、さらに深く比較検討してみせるのだ。
まず、原作者であるイギリスの女性作家、ウィーダの作家人生に脚光を当てる。
ウィーダの父親のフランス人は謎めいた男で、スパイ、陰謀家、賭博師と様々に憶測されてきた。パリ・コミューンの闘いで死亡したともいわれるが実態は不明だ。
この父親が幼いウィーダのトラウマとなって、その人生に影響を与えたというのだが、彼女の作家的成功についても皮肉交じりで疑心暗鬼だ。売れっ子になって大金を得て、ヨーロッパを旅して散財するが、ベルギーでの体験は希薄だったという。
なので、フランダース地方の描写についても批判的で、晩年の悲劇に対しても皮肉たっぷり。
「ウィーダの文才に難癖をつけたがる者なら納得できることかもしれないが」と前置きして、著者たちは、ウィーダの作品、とりわけ「フランダースの犬」は、文学というよりも映像化されたものとして記憶されると手厳しい。
アメリカでは、なんと5回も映画化されているという。そして、その5本を詳細に紹介し、いずれもアメリカンドリームを体現しているというのだ。しかも実写映画のこの5作品は、いずれも国内外で成功を収めたとはいいがたく、もちろんフランダースでは全く知られていない。
これに対して、日本のアニメシリーズに対する評価は極めて高い。シリーズの52作品を丁寧に紹介解説し、作画のスタイルも素晴らしくユーモアも優れ、アニメの傑作だと絶賛する。テンポは完璧で、自然と四季の移り変わりもあって飽きさせない。
しかし、アジアでは成功を収めたものの、欧米ではなぜ成功しなかったのかと疑問を投げかける。
そこからの分析は精緻を極め、日本文化に対するヨーロッパのオタク著者たちによるサブカル研究としてなかなか興味深い。
アニメ「フランダースの犬」人気で、日本人観光客に刺激され、アントワープでこの作品が注目され始めたのは1980年代の半ば。しかし日本からの観光客は、作品から描いていたイメージとの違いに幻滅する。
ホーボーケンとアントワープの、ネロとパトラッシュをめぐっての確執も面白い。アニメが作り出した虚構と、舞台となったフランダース地方の現実との温度差が、鮮やかに描き出されるのだ。
明治以降、現代にいたるまでの日本における「フランダースの犬」の翻訳の変遷を紹介する解説も興味深い。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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