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[書評]『「表現の自由」入門』

ナイジェル・ウォーバートン 著 森村進 森村たまき 訳

奥 武則 法政大学教授

線引きは、どのように可能か  

 タイトルを見て、「なに? 入門。いまさら……」と思った人がいるかもしれない。だが、侮ってはいけないのである。本書は、現代を生きる私たちにとって切実な問題を提起している。

『「表現の自由」入門』(ナイジェル・ウォーバートン 著 森村進 森村たまき 訳 岩波書店) 定価:本体1900円+税拡大『「表現の自由」入門』(ナイジェル・ウォーバートン 著 森村進 森村たまき 訳 岩波書店) 定価:本体1900円+税
 「表現の自由」が大切なことはだれでも知っている。

 民主主義社会にとって、それが中核的な位置にあることも多くの人が認めるはずだ。

 だが、問題は、そういう当たり前の知識の先にある。

 本書の第1章の冒頭に、フランスの啓蒙思想家ヴォルテールのものとされる、有名な言葉が引かれている。

 「私は君の言うことを徹頭徹尾嫌悪するが、しかしそれを言う君の権利を死ぬまで擁護する」

 私も1年生向けの大学のジャーナリズム論の授業で、日本国憲法21条とともに、この言葉を毎年紹介する。

 憲法21条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とし、合わせて「検閲は、これをしてはならない」と規定している。

 ヴォルテールの言葉とされるものも、わが憲法21条も、実にかっこいい。後者は「一切の表現の自由」とさえ規定しているのだ。見事な理念である。

 だが、現実は理念通りにはいかない。

 「表現の自由」は言論だけが対象ではない。演劇、映画、ビデオ、写真、漫画、絵画その他、人間は多彩な表現活動を営んでいる。

 それらに「一切の表現の自由」を認める? そんなことはできるのか。「だめなもの」と「許されるもの」の間に、どこかで線引きをしなくてならないのではないか。

 「自由は放縦と混同されるべきではない」と書く著者も線引きの必要性は認める。

 では、どのように線引きをしたらいいのか。

 本書は、「表現の自由」が民主主義社会の中核であることを指摘したうえで、この検討を進める。

 かつてホロコースト否定論をめぐる論議があった。

 ホロコーストを否定する見解に「表現の自由」はあるのか否か。この問題での線引きは、ある意味難しくない。

 ナチスによるユダヤ人の計画的大量殺人があったのか、なかったのか――それは過去の事象に関する特定の言明が真か否かをめぐる問題だった。

 今日、「表現の自由」が直面している中心的な難問は、こうしたある見解の真偽ではなく、それが人々の感情にかかわる局面においてである。

 2015年1月、パリの「シャルリー・エブド」本社が武装集団に襲われ、12人が殺害される事件があった。同社が発行する週刊誌「シャルリー・エブド」に掲載された風刺漫画がイスラム過激派を挑発するものだったことが原因とされた。

 この事件は本書刊行後のことだが、著者が指摘する「表現の自由」の今日的難問を具体的に教えてくれる。

 むろん、テロは容認できない。だが、宗教信者が信仰する「神」やその宗教的信念への冒瀆――多くは、パロディやユーモアのかたちで表される――は「表現の自由」の名で許容されるのか。

 この点での著者の見解は、次のヘイトスピーチに関する議論同様、ほぼ「表現の自由」原理主義ともいうべきラジカルなものである〈訳者は「あとがき」で、この点を否定しているが〉。著者は基本的に表現の内容そのものによる線引きを認めない立場をとる。

 宗教的信念については、次のように述べる。

 「宗教的信念だけが特別の保護を受けるべきだという観念は奇妙である。すなわち、自由社会においてすべての信念は吟味、批判、パロディ、そして潜在的には嘲笑に対して開かれているべきである」

 ヘイトスピーチは今日、日本でも在日朝鮮韓国人を対象にしたものが議論を呼んでいる。

 著者は「ヘイトスピーチの標的はしばしば特別に傷つきやすく、マイノリティである。言論の自由が彼らに課すコストは、彼らの尊厳と自尊心が脅威にさらされる点で潜在的に高い」と指摘しながらも、なお寛容を求める。

 ヘイトスピーチに関する線引きを、著者は「暴力の誘発あるいは明白な名誉棄損となる地点」に設定する。

 したがって、宗教的信念と同様、侮辱や軽蔑を含むからといって、それらの言論そのものを法律で禁じるべきではないというのである。

 こうした見解は、著者が「滑りやすい坂道の議論」と名づけた考え方に基づいている。

 ひとたび「表現の自由」の縮小をある部分で認めてしまうと、「ほぼ不可避的に全体主義に至る滑りやすい坂道に一歩を踏み出すことになる」というのである。

 しかし、本書で具体的に取り上げられたテーマのうち、ポルノグラフィについては原理主義的見解がいくぶん修正される。

 インターネット社会において、ポルノグラフィの製作と流通が容易になった背景を指摘し、筆者はとりわけ児童ポルノの領域で、「表現の自由」の利益がそのコストを凌駕することは「まったくありそうもない」と述べる。

 本書から改めて学んだことの一つは、「表現の自由」が、人を侮辱したり、軽蔑したりすることを含むということである。

 人は自分がだれかを侮辱したり、軽蔑したりするおそれをかかえている。逆にだれかから侮辱されたり、軽蔑されたりするおそれもある。「表現の自由」を守る社会に生きていくために、私たちはそうしたおそれに立ち向かわなければならない。

  *ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

奥 武則

奥 武則(おく・たけのり) 法政大学教授

新聞記者歴33年ののち大学教師。新聞社では学芸部が長かった。最後はシコシコと朝刊1面のコラムを書いていた。大学では「ジャーナリズムの歴史と思想」という授業が主担当。自己認識としては「日本近代史研究者」のはしくれのつもりだが、立場上、「マスコミ問題」だの「取材文章実習」といった授業もやる。著書に『論壇の戦後史 1945-1970』(平凡社新書)、『露探―日露戦争期のメディアと国民意識―』(中央公論新社)など。