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[書評]『Ōe(おおえ)――60年代の青春』

司修 著

大槻慎二 編集者

コラージュによる「自画像」と「だまし絵」の結節点  

 幕末の浮世絵師、歌川国芳に「寄せ絵」といわれる一群の作品がある。

 さまざまな姿態をした裸の男を集めて人の顔を作ったものだが、その余白には「みかけは怖いがとんだいい人だ」とか「人かたまって人になる」、あるいは「としよりのような若い人だ」など、諧謔に富んだタイトルが添えられている。

 本書を読んでまず思い浮かんだのがその絵たちだった。

『Ōe(おおえ)――60年代の青春』(司修 著 白水社) 定価:本体2600円+税拡大『Ōe(おおえ)――60年代の青春』(司修 著 白水社) 定価:本体2600円+税
 要するにコラージュなのだが、著者である画家・司修は自ら装幀した大江健三郎のふたつの作品『叫び声』と『河馬に噛まれる』から、あるいはそれに関連する大江の文章やその他もろもろのテキストのなかから素材を切り取り、カンバスに配置してひとつの相貌を浮き上がらせている。

 巻末にリストが載っているが、著者が装幀した大江作品の数はおびただしい。

 というか、ほとんどの重要な作品の装幀は著者が手がけているといっていい。

 その数多の作品からなぜこのふたつが選ばれたか。

 理由は書名にある。60年代の青春。

 〈ひとつの恐怖の時代を生きたフランスの哲学者の回想によれば、人間みなが遅すぎる救助をまちこがれている恐怖の時代には、誰かひとり遥かな救いをもとめて叫び声をあげる時、それを聞く者はみな、その叫びが自分自身の声でなかったかと、わが耳を疑うということだ。〉

 この『叫び声』の冒頭に置かれた文章は、たったワンセンテンスで作品自体のテーマやモチーフを見事に表しているとともに、まるでカンバスに塗られた地色のように、本書の通奏低音を成している。

 「フランスの哲学者」とはサルトルで、「ひとつの恐怖の時代」とはナチス占領下のパリのことだが、それは樺美智子の死で幕を開けた60年代安保闘争の時代でもあるし、樺の死を胸に刻んで青春期を迎えた若者たちが「あさま山荘事件」を引き起こした時代でもある。

 そしてこの「叫び」は、作品の下敷となっている小松川事件の犯人である李珍宇と大江が共有していたものであり、山岳ベースで殺し殺された連合赤軍のメンバーの胸に響いていたものでもある。

 けれどもその「恐怖の時代」がまさに現代であり、「その叫びが自分自身の声でなかったかと、わが耳を疑う」べきなのは今を生きるわれわれではないかと強く思わされるのは、たとえばコラージュのなかに埋め込まれた次のような一片(ワンピース)だ。

 〈憲法改正問題は日本にとって極めて重要な問題であるから慎重に検討するため憲法調査会を設け、とくに有識者を加えて審議している。私は周知のとおり改正論者であるが、この改正は衆参両院の三分の二以上の賛成および国民の過半数の同意を必要とするものだから、改正の実現までは相当日時を要するのは当然だと述べた。その際ブラウン記者が改正には九条を含むかと質問したので、九条を含めて検討すると答えた。〉

 まるで今国会の首相答弁から引いたような台詞だが、実は半世紀以上前のこと、アメリカの記者からインタビューを受けた岸信介が、通訳のミスで世界的な批判を浴びた際にその弁明として出したコメントである。まさに「だまし絵」を見せられたようだ。

 ところがそれが「だまし絵」どころではなく時代が置かれた紛れもない現実であり、またこのコラージュが著者・司修の自画像にもなっていると深く感得されるのは、〈第二章『河馬に噛まれる』〉においてである。

 「河馬」を「樺」に読みかえることから始まり、著者のイマジネーションは要所要所で奔放に疾走する。

 大江の「自食」というエッセイから、萩原朔太郎の散文詩「死なない蛸」へ連想が飛び、前橋から上京して赤羽に住んだころの自史に及ぶ。

 あるいは短編集『河馬に噛まれる』の中の一編「『浅間山荘』のトリックスター」に出てくる「和解」という単語から、つげ義春の漫画『近所の景色』に話が飛ぶ。

 そしてその「自画像」と「だまし絵」が交錯する結節点がある。

 それは「ヴァルネラビリティー」という単語。広辞苑から引くと「(1)脆弱性。もろさ。無防備さ。(2)共同体の成員と異なる徴をもつことによって攻撃されやすいこと。攻撃誘発性。(3)レヴィナスの倫理学で、他者が負う傷や苦しみに自分が傷つくこと。」という意味である。

 『河馬に噛まれる』の中ではあさま(浅間)山荘で処刑されたYさん(=山崎順)を形容する言葉として出現するのだが、著者はその山崎順が殺された21歳という年齢に反応して、あまりにも「ヴァルネラブル」だった同じ歳のころの自分に意識を降ろす。

 ところがこの言葉が、実は(2)の意味で核軍事用語として使われていることから連想はまた「恐怖の時代」である現代に及ぶ。

 〈およそ敵陣営への恐怖にみちた憎悪がバネとなっている、核抑止力という考え方の基盤の、それこそ脆弱な実体がしっくりと見える〉

 引用される大江の言葉は、核ならずとも集団的自衛権を「抑止力」と称してごり押しする現政権のことを指しているように思える。

 その結節点に立ったとき、まさにいま〈大江健三郎〉を読む意味がはっきりと立ち現れてくる。

 「持続する志」。1968年に刊行されたエッセイ集のタイトルだが、その2年後の『沖縄ノート』に向けられた裁判(沖縄戦で日本軍が集団死を命じたとする記述に対して元戦隊長などが名誉を傷つけられたとして出版差し止めを求めた)の上告が最高裁によって棄却されたのが2011年。ついこのあいだのことである。

 いま現在辺野古の基地建設に反対する抗議船に乗り込んでいる齢80を過ぎた大江さんの姿を見るにつけ、「持続する志」の凄みが伝わってくる。

 装幀者としてのみならず、同時代人として大江健三郎と伴走してきた著者がいま、コラージュという手法によって描いた自画像。

 その顔は果たして怒っているのか泣いているのか。あるいはその「寄せ絵」にはどんなタイトルが添えられているのか。答えは……本書を読んでもらうしかない。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

大槻慎二

大槻慎二(おおつき・しんじ) 編集者

1961年、長野県生まれ。名古屋大学文学部仏文科卒。福武書店(現ベネッセコーポレーション)で文芸雑誌「海燕」や文芸書の編集に携わった後、朝日新聞社に入社。出版局(のち朝日新聞出版)にて、「一冊の本」、「小説トリッパー」、朝日文庫の編集長を務める。2011年に退社し、現在、大阪芸術大学、奈良大学で、出版・編集と創作の講座を持つ。フリーで書籍の企画・編集も手がける。