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[書評]『東京抒情』

川本三郎 著

上原昌弘 編集者・ジーグレイプ

二度潰滅した「町」の思い出  

 川本三郎は東京を「ノスタルジー都市」と呼んだ。

 震災と空襲で二度潰滅した「町」。未曾有のカタストロフィから二度も奇蹟的な復興を遂げたが、その度に過去を消し去ってきた。

 東京という存在自体が、そもそもノスタルジーを内包しているのだ。精神病理学者・木村敏の、「メランコリー」と同義といってもいい。本書には随所に、失われた時間への嘆きがある。

『東京抒情』(川本三郎  著 春秋社) 定価:本体1900円+税拡大『東京抒情』(川本三郎 著 春秋社) 定価:本体1900円+税
 川本は「街」を嫌う。彼にとって東京は、「街」ではなく「町」である。

 下町は勿論のこと、山の手であってもそこは「都市」ではない。あくまでも「ノスタルジー都市」なのだ。

 銀座を語っても、そこにあるのは農村の対概念としての「都会」であり、それはもっと言えば「仮象」にすぎない。

 たとえば田山花袋『東京の三十年』を引用して、川本はこう書いている。「『日比谷は元は練兵場で……夏は砂塵、冬は泥濘』東京の真中なのに田舎だった」。

 先に「町」だと言ったが、前言撤回。川本のイマジナリーラインにおいては、「町」ですらないのである。

 本書は、「歩く東京」「思い出の東京」「描かれた東京」の3部構成、すなわち自ら歩いて土地を確認したルポ、懐古的なエッセイ、東京について書かれた本の書評の3つにわかれている。

 しかし、極論すれば内容は同じである。

 「東京という田舎はどこへ行ってしまったのか?」

 東京の郊外を故郷とする者(川本は阿佐ヶ谷育ち)の素朴なギモン、いやもっと切実な魂の声である。 

 第三部の奥田英朗『オリンピックの身代金』(角川文庫)の書評は、とんでもない傑作である。

 これは本書の白眉ともいえる記述に満ちている。東京という田舎が、地方という田舎をいかに喰いモノにしてきたか。

 1964年に東大法学部に入学し、エリートへの第一歩を歩みだした(そして後に自ら下りた)川本が、当時の自分には見えていなかったヒエラルキー構造の罪深さを語っている。

 国民平均世帯年収の5分の1しかない東北の寒村では、マヨネーズすら流通していない。オリンピックの工事で何人の出稼ぎ労働者が命を落としたか。

 これは川本に馴染みの、敗者や弱者に寄り添うスタイルに見えるが、そうではない。労働者へのレクイエムを謳っているのではなく、東京という田舎が、搾取という無粋な行為をおこなう「街」に変貌したことに、猛烈に怒っているのだ。泣き声は最終章に至って、怒声にまで高まるのである。

 本書はもうひとつ、得難い史料を紹介した本でもある。特筆すべきは、東京を描いた記録映画を微細に見ているのだ。

 第一部に収載された「『レンガの街』から『オリンピックの街』へ」で取り上げられた作品を、備忘録として書き出しておく。

大正6年(1917) 『東京見物』(モノクロ、無声、26分)……東京駅をはじめ、モダンな赤煉瓦建築の威風堂々
昭和15年(1940) 『東京巡り』(モノクロ、10分)……天井が窓になっている木炭観光バス、観光客の脱帽に見る時局性
昭和29年(1954) 『新東京案内』(モノクロ、42分)……東京を5つのエリア(霞ヶ関など政治地区、銀座を中心とする商業地区、本郷を中心とする文教地区、山の手、下町)に分けて紹介
昭和35年(1960) 『変わる街の姿』(モノクロ、12分)……都市の区画整理
昭和39年(1964) 『首都東京』(カラー、59分)『新東京の顔』(モノクロ、16分)『銀座八丁』(モノクロ、12分)『東京ルネッサンス1964』(モノクロ、28分)……空前の建築ラッシュ、武蔵水路の建設

 上記のフィルムに描かれた東京は、つねに「普請中」だった。

 ではその工事現場で働いていたのは誰か。そして、次回のオリンピックで駆り出されるのは誰なのか。

 それが外国からの移民だとしたら、国際都市・東京はますます過去から乖離し、ノスタルジーは深くなる。われわれは川本と同じく、丹念に遺物を探して歩き回り、抒情のなかに生きてゆくしかない。

 ポンチ絵風の装画に偽装されているが、口当たりのよい懐古的なエッセイ集ではない。闇市(例えば尾津マーケット)すらもいとおしく持ち上げるという、偏屈にして噛み応えのある1冊なのである。 

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

上原昌弘

上原昌弘(うえはら・まさひろ) 編集者・ジーグレイプ

1961年生まれ。早稲田大学第一文学部演劇科卒。大学時代、産経新聞と北海道新聞と新書館(後に入社)の3社かけもちで働く。卒論はヒッチコック。月刊コミック誌、バレエ雑誌、思想誌『大航海』などを編集。また書籍では、川本三郎『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞受賞)、『小津安二郎全集』、『車谷長吉全集』(いずれも新書館)などを編集。