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[書評]『ネットワークのしくみ』

岡嶋裕史 著

井上威朗 編集者

下品でも萌えでも、好きなことを極める「勇気」  

 20年以上前、私は漫画の仕事を希望して出版社に入社し、希望通り漫画編集部に配属されました。

 だけどしょせんは偏差値秀才。新しいコンテンツを生み出すアイディアは浮かばず、月400時間労働してもヒット作はおろか穴埋め連載すら満足に始められませんでした。深夜の漫画家接待要員にしか役に立たない始末です。

 何をやったらいいのか見出せないまま、やがて編集部から異動。こうして3年ごとに全然違う部署を経験する、たらい回しサラリーマン人生がはじまったわけです。

 でもその経験のおかげで、当時の自分に足りなかったものが何となく分かるようになりました。

 人がやってないことを探して、どんどん挑戦する「勇気」が足りなかったのです。勇気がなければ、傑作アイディアを考えようとウンウンうなったところで何にもなりません。漫画家や上司に、馬鹿な話でも臆せず次々と提案し続けるべきだったのです。

 でも、これは「若い頃の自分」ではなく、中年になって守りに入りがちな「今の自分」にこそ言うべきでしょう。

 そんなことを痛感したのは、この一大奇書にして快著『擬人化でまなぼ! ネットワークのしくみ』を読んだからであります。

『擬人化でまなぼ! ネットワークのしくみ』(岡嶋裕史 著 翔泳社) 定価:本体1980円+税拡大『擬人化でまなぼ! ネットワークのしくみ』(岡嶋裕史 著 翔泳社) 定価:本体1980円+税
 ジャケット画像だけでも、良心的な人文書を紹介すべき本連載で扱ってよいものかどうか、危険な臭いがします。

 それどころか、開いてみると中身は第一印象以上に「濃い」です。かわいい女の子のちょっときわどいイラストや漫画も満載であります。

 内容はタイトル通り、ネットワークの入門書。

 ただし、登場する用語(プロトコル)はすべて、さまざまなタイプの美少女に擬人化されています。JPEG、HTTP、IP、SMTP、みんな女の子です。

 ページデザインも、メッセージアプリ「LINE」風に設定され、彼女たちの掛け合いを楽しく軽快に読めるよう工夫されています。

 ストーリーは2部構成。あるパソコンが広大なネットワークの海に「動画をダウンロードさせよ」と信号を送り、無事に手に入れるまでのプロセスが第1部で、第2部ではメールがいかにして送受信されるかを再現しています。

 私はWeb雑誌の編集者とは名ばかりで、ネットワークの内側で何が起こっているかさっぱり分かっていない文系人間です。

 それでも、この擬人化手法で解説されることで、画像ファイルの違い(たとえばjpegとgifとpngの違い)から、無数に存在する端末に唯一のIPアドレスを特定させる方法まで、何となく理解することができました。

 「IPアドレスが住所で、物理アドレス(MACアドレス)が氏名にあたる」みたいなことが言えるようになるだけで、何だか少し詳しくなったような気がするではないですか。嬉しいことです。

 ただし気になるのが、必要以上にキャラクターの会話に下ネタを挟み込んでくるところです。「スパムメールを受ける」と「スパームを受ける」を無理やり混同したりしています。

 大丈夫なのかと思いつつ最後の章にたどり着くと、やっぱり大丈夫ではありませんでした。

 「ぽろりもあるよ。脆弱性だらけの水着大会」と題された最後の章では、ネットワークにおける多様な脆弱性を解説。その解説自体はためになるのですが、著者は「脆弱性」をいちいち「露出度の高い水着」にたとえてくれます。

 たとえば「IPスプーフィング脆弱性」は「合わないサイズなので、かがんだときに見えちゃいそうな水着」です。

 そして、ラストシーンの見開きイラストでは……何ともここでは申し上げにくい、でもイチ男性としては素晴らしいオチになっておる次第です。

 ということで、すごくタメになりつつ、まことに不謹慎きわまる本書。

 どんな御仁が書いたのかと思ったら、数々の技術書を上梓している大学准教授で、政府審議会にもNHK教養番組にもガンガン出ている、かなりすごい業績の人ではないですか。世代も私と近い、立派な中年です。

 著者が誰かの思惑に乗せられてイヤイヤ書いたのかと解釈したくもなりますが、読む限り明らかにノリノリです。それどころか、本書の出版を実現するために、クラウドファウンディングまで試みたと奥付に書いてあります。

 おそらく、著者は守るべきものが多すぎる立場にもかかわらず、この「下品な美少女での擬人化」による教育書をどうしても作りたかったのでしょう。そして見事に高い水準で実現させた。しかも堂々と本名で刊行した。

 これは明らかに、私にはなかった「勇気」のなせるわざです。なんだか胸が熱くなってくるではありませんか。

 そして本書を読むと熱くなるのは胸だけではなく……と余計なことを書く私は、著者の勇気だけではなく下ネタの術中にもハマったのかもしれません。本連載の品位を下げるわけにはいきませんので、今回はこれで稿を閉じます。

 でも最後に一言。「もっと肌色多めな続編を早く! できればスピンオフ企画も!!」

 ――私の欲望制御システムも脆弱性だらけで、まことに失礼いたしました。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

井上威朗

井上威朗(いのうえ・たけお) 編集者

1971年生まれ。漫画雑誌、Web雑誌、選書、ノンフィクション書籍などの編集を経て、現在はまたWeb雑誌にて書評を担当。手がけた企画は竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』、本田透・堀田純司『メカビ』、斎藤貴男『「東京電力」研究 排除の系譜』(第3回いける本大賞)、古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです