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[書評]『人はなぜ格闘に魅せられるのか』

ジョナサン・ゴッドシャル 著 松田和也 訳

高橋伸児 編集者・WEBRONZA

善良でも文明的でもなく……  

  子どものころ、ルールもほとんど忘れたが、体を激しくぶつけあって陣地を取ったり、誰かの上に乗っかってつぶしたり(つぶされたほうが負け)という類の遊びは好きだった。中学生で殴り合いの喧嘩をした時の――結局、家で悔し涙を流しのだけど――勝ち負けを超えた気持ちの昂ぶりもよく覚えている。

 ボクシングも、高度なテクニックの応酬で判定にもつれた試合よりも、荒っぽくても、一発KOで気絶させるようなシーンにはカタルシスを感じるし、プロ野球だって、(大きな声では言えないが)一番興奮するのは乱闘シーンだ。

 いまや「容疑者」と呼ばれるあの選手が若かりしころ、デッドボールを当てられるや、バットを投手に投げつけて走り寄り、プロレス技(ジャンピングニーバット!)を掛けたあげくの両チームの選手入り乱れての大乱闘は球史に残る名場面だ。あのスペクタルに比べれば、高校時代の彼が甲子園でホームランを連発したことなど些細な出来事だと断言したい。

 僕は別に暴力肯定論者ではないつもりだし、ふだんは害虫ぐらいしか殺さないのだが、こうした心性は否定しようもないし、こんなタイプの男はたぶんいくらでもいるのだろう。

『人はなぜ格闘に魅せられるのか――大学教師がリングに上がって考える』(ジョナサン・ゴッドシャル 著 松田和也 訳 青土社) 定価:本体2600円+税『人はなぜ格闘に魅せられるのか――大学教師がリングに上がって考える』(ジョナサン・ゴッドシャル 著 松田和也 訳 青土社) 定価:本体2600円+税
 本書の著者も、大学の英語学科で非常勤講師を勤めるふつうの男だった。

 その彼が40歳も近づいたころ、教員生活に行き詰まりを感じ、ふとしたことから、総合格闘技(MMA)のジムに通い始める。

 2年にわたるトレーニングの後、ついにプロのリングで闘うまでが本書の軸となる。

 古代オリンピックにも種目があったし、古今東西、「文明」のあるところ、何らかの格闘技はおこなわれてきた。

 だが、この「総合格闘技」は、パンチもキックも、寝技の関節技も絞め技もありで、最高峰のUFCでは八角形の金網(オクタゴン)の中で闘うという、かなりアブナイものだ。

 アラフォー男がよりによって「世界最強」と言われる総合格闘技の場に飛び込んでいく、このプロセスは、同時に、子どもの喧嘩から国家間の戦争まで、人類史が抱える次のような問いの答えを探すことでもあった。

 何故男は闘うのか?
 何故多くの人はそれを見るのが好きなのか?
 何故、特に暴力となると、男はこれほど大きく女と異なっているのか?

 こうした難問群に対して、実に様々な知見が動員される。

 生物学(精子と卵子の圧倒的な数の違いも関係あるらしい)や動物学(多くの生物が主にメスをめぐってオス同士で闘ってきた)、犯罪学(殺人事件は男が起こす率が圧倒的に高い)、民族学(古代から部族間の戦いは絶えたことがない)、ジェンダー論(“好戦性”では明らかに子供のころから男女に性差がある)、動物虐待や処刑法の負の人類史(なんと人間は残酷なことを発明してきたのか)、空手や功夫(カンフー)といった東洋由来の格闘技論(アジアの格闘技は「宗教」で総合格闘技は「科学」だとか)、戦争とスポーツの関係性(スポーツは戦争を煽るのか、戦争を抑えるのに役立つのか)……。

 多くの例証からの印象をあえてまとめてしまうと、闘ってきた人間(その圧倒的多数は男)の「性(さが)」と「業」ということになるだろうか。「性」も「業」とは本書で使われていない語し、凡庸といえば凡庸だが、他に適当な言葉が見つからない。著者もこう書く。

 「われわれの殆どは暴力をとても愛している」
 「人類の歴史がノンストップの殺人と略奪であったことからして、われわれは絶対的に暴力や殺人を厭わねばならないという前提は無意味である……男は血の塩味が好きなのだ」

 闘う意志のない人たちを巻き込む現代の戦争や殺人=究極の暴力と、身体へのダメージを管理し、ルール化された格闘技を同列に論じるのは明らかに無理筋だ。

 だが、「われわれは自分で思うほど善良でもなければ文明的でもない」ことの自覚と諦念を挑発的に促したのだろうと僕は読んだ。

 さて、こうして考察を重ねた著者は実戦のリングに上がる。その47秒後の結末は本書で読んでほしい。ジム通いによる手首の捻挫、手の親指の変形、足の親指の関節炎、アキレス腱の痛み、治る見込みのない首の痛みに見合ったものを彼は得た。試合後、対戦相手と会場のスタンドでビールを飲むシーンは情趣に富む。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。