待たれたソ連の参戦、原爆投下の神話……
2016年03月08日
『1945 予定された敗戦――ソ連侵攻と冷戦の到来』(小代有希子、人文書院、2015年)
日本の指導者たちがソ連の参戦を待っていたのは何故か?
ならば、目指すべきは、「よりよい負け方」である。
日本が戦後に何とか存続する、生き延びるだけでなく戦後復興する余地をもって敗北する。あわよくば、これまでの国家体制=支配体制をそのまま維持して。
「国体維持」は、何も天皇制だけを指しているわけではない(実際に、その支配体制は、白井聡によって、今日にいたるまで生き延びていることが暴かれた)。そのために、彼らは、ソ連の参戦を、むしろ利用しようとしたのだ。
『1945 予定された敗戦』を読む(上)――白井聡『永続敗戦論』に続く、戦争の「終わり方」
ヤルタでの「対日参戦」の約束にもかかわらず、ソ連とアメリカは決して一枚岩ではなかった。“アメリカ国務省は、ソ連が朝鮮に対して抱く野心について、太平洋戦争勃発直後から警戒し始めていた”のである。ヤルタで「参戦の約束」は交わしたが、ポツダム宣言にソ連は加わっていない。
戦争末期の日本のソ連に向けた和平工作も、ヤルタでの密約を知らない日本人が、“もうアメリカに勝つ見込みがなくなったので、藁にすがる思いで「不可侵条約」を結んでいたソ連にアメリカとの講和を斡旋して欲しいと懇願した”まるで見当違いの嗤うべき愚策と解釈されているが、実際は、利害のぶつかる二大国の双方と接触することによって、よりよい降伏条件を引き出そうとしたものと考えられる。
そのためには、むしろソ連にも参戦してもらわなければならなかったのだ。
ソ連の対日参戦によって、“アメリカが日本の植民地敵国全てを獲得し、東アジアに君臨することも阻止できる。その意味で、そもそもアメリカ勢力を東アジアから駆逐することを目的とした太平洋戦争の目的は部分的にでも叶う。そうなれば、ついに戦争を終わらせる大義が立つ”といういささか苦しい「見立て」もあったのだろうか?
ともあれ、日本は、ソ連の参戦を待った。そうこうしているうちに、2発の原子力爆弾が落とされたのである。
その原爆についても、我々は一つの神話に捕らわれている。
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