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[書評]『絶筆』

野坂昭如 著

木村剛久 著述家・翻訳家

最後のメッセージにこめられた願い  

 冒頭に置かれた編集部の注記によると、野坂昭如は2003年5月26日、72歳のときに脳梗塞で倒れたあと、暘子夫人の手を借りて、口述筆記により作家活動をつづけていた。

『絶筆』(野坂昭如 著 新潮社) 定価:本体1600円+税拡大『絶筆』(野坂昭如 著 新潮社) 定価:本体1600円+税
 急逝したのは2015年12月9日夜で、享年85歳。

 本書は2004年から2015年にかけ、『新潮』や『新潮45』に掲載された公開日記を収録したもので、その記述は亡くなる当日のほんの数時間までつづけられていたという。根っからの作家であり、外見に反して勤勉な記録魔だったことがうかがえる。

 2004年と2005年の日記は、病気からの快復期にあたり、つらいリハビリも重なって、読者への年1回の不定期な報告にとどまっている。

 「だまし庵日記」と称して、日々の感想めいた日記が、毎月『新潮45』に掲載されるようになるのは2007年から2015年までの9年間である。

 この日記にえがかれているのは、からだの具合や身辺のできごと、昔の(とりわけ戦争中の)思い出、さらに状況への発言といったところ。

 そこからは、病に倒れてからの十数年間を野坂がどう生きたのか、そしてけっして明るいとはいえない日本の状況を、かれがどう見ていたのかを知ることができる。

 日記は、しょせん日々の断片的記録にすぎず、退屈きわまりない代物とみられがちだ。

 しかし、そこには実は飾らない生の声が隠されている。その日記のなかに、時代への思いをとらえ、重ねてみること、ともに生きた過去をふり返ってみること、ときにおかしな箇所をみつけて大笑いすること──そうしたことが日記を読むひそかな楽しみといえるかもしれない。

 意外なことに、野坂は医者や家族の忠告を聞いて、まじめに脳梗塞のリハビリに努めている。あれだけ呑んでいた酒もぴたりとやめ、よく運動し、ことばの訓練にも励み、音楽療法で歌も歌い、よく食べ、よくしゃべり、よく仕事をした。

 新聞を読んだり、テレビを見たりすると、すぐにくたびれてしまう。それでも、これから代表作を書く、あれが野坂の最後の女といわれる恋人をつくる(後者に関しては口ばかり)、と意気軒昂だった。

 それにしても、老いていく日々は切ない。しかし、それを野坂は淡々と記している。

 白内障、骨折、嚥下障害、不安定な血圧、歯がぽろりと落ちる。病院に行けば、長時間待たされたあげく、検査づけになる。そのうえ、日々のリハビリやマッサージ、発声練習が待っている。

 「ジメジメと老いてる場合かと、自分に活をいれるが、ヘタばるばかり」、「足腰の衰えいかんともしがたい」、「ここ数年、足腰ヨロヨロ、目はショボショボ、歯はガタガタ。体力低下著しい」、「朝風呂といえば風情があるが、今のぼくにそんな情緒は無い。風呂に入るにもひと苦労なのだ」。そんなつらい記述がつづく。

 だが、野坂はどんなことがあっても、生きようと決意している。

 日記には思わぬ述懐も混じっている。たとえば「ぼくは、子供のころから嘘ばかりついてきた」というのもそう。「自分の過去を振り返ったとき、要するに、ぼくは、常に何かに怯えながら生きてきたらしい」というのもそうだ。

 そして「この怯えこそ、嘘を生み出す肥やし。ぼくにとって嘘は生の証し」とつづく。

 元祖プレイボーイとされた野坂の最大の嘘は、女にモテモテだったということだろう。妄想だけはふくらんでいくが、実際はまったくもてなかった。

 でも、おしゃれだったことはまちがいない。愛妻家であり恐妻家でもあった。犬と猫が大好き。蕎麦好き、とりわけ鴨南蛮には目がなかった。

 日記には『火垂るの墓』の舞台となった神戸での夏の思い出や空襲の恐怖もつづられている。しかし、飲んだくれならではの笑い話もある。

 たとえば、新宿のゴールデン街で、唐十郎と飲んだときの話。気がつけば唐十郎が憤怒の形相と化している。

 「次の瞬間、鼓膜が破れそうな甲高い奇声とともに、ぼくの目の前のカウンターに包丁が突き立てられた。冷たく光っている。勝負だ、表に出ろという。
 売られたケンカは買うより手がない。
 ぼくは、ヨシ、と立ち上がる。店の空気は張りつめたまま、誰も動かない。唐十郎は突き立てた包丁に手をかける。ぼくはそれを睨み続ける。
 しかし様子がおかしい。
 片手で抜けないらしい。両手でも抜けない。ついに二人で一本の包丁を抜こうとする。どちらともなく笑い出し、あげく大笑い。呆気に取られた周りを無視して、再び飲み直した次第」

 こういう話を書かせたら、野坂の右に出る者はいない。

 日記の価値は時間をおいてみなければわからない。永井荷風や清沢洌、山田風太郎などの日記にしてもしかり。

 その意味では、野坂昭如の日記を読むのは、もっと時間がたってからのほうがいいのかもしれない。亡くなってからまだ3カ月だ。それでも、この日記からは、日本が大きく変わろうとしている様子が、まざまざと伝わってくる。

 「安倍さんは日本を取り戻すそうな。威勢はいいが、いったい、いつの日本を取り戻すおつもりなのか。……今の世の空気、大正末期から戦争までと、よく似ている。まさか、ここに逆戻りはあるまいが」、「巷にアベノミクスという、フワフワした気分が漂っている。とにもかくにも金さえ儲かればいいらしい。安倍政権の支持率の高いうち、原発は再稼働へ向け、国防軍を目指し憲法は改正へ、世間が浮き足立つなか日本の根幹に関わる重要問題がやすやすと推し進められようとしている」、「安倍政権の暴走、これをとどめる者がいない。戦争参加に向けて、安倍の妄想物語が続く」

 最後の日記には「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」とある。これが野坂の絶筆となった。

 久しぶりに『火垂るの墓』、『アメリカひじき』、『骨餓身峠死人葛』(ほねがみとうげほとけかずら)を読み返し、歴史はくり返すという命題について考えてみた。

 日本はアメリカと戦争する。同じ「と」でも、戦前と現在とでは、その方向は真逆である。

 アメリカに対して戦争するのか、アメリカと共に戦争するのか。しかし、そのいずれの「と」も戦争につながっている。

 だとすれば、断乎として日本は戦争しないと言い切ること。野坂の最後のメッセージには、そうした思いが託されている。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

木村剛久

木村剛久(きむら・ごうきゅう) 著述家・翻訳家

共同通信社で長く書籍を編集し、『妻たちの思秋期』(斎藤茂男)、『もの食う人びと』(辺見庸)のほか、『マクナマラ回顧録―ベトナムの悲劇と教訓―』(R・マクナマラ)、『現代史』上・下(ポール・ジョンソン)などを手がける。自身の訳書・共訳書に『国民の天皇』『紀元二千六百年』(共にケネス・ルオフ)など、著書に『蟠桃の夢―天下は天下の天下なり―』(トランスビュー)がある。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです