コンペティションが地味めな傾向に
2016年03月14日
前項で指摘したように、今年のベルリンは“社会派”や“政治的”などと評される映画祭の評判や期待に、完全に応えた年となっていた。
ベルリン映画祭リポート(上) “社会派”――シナリオ通り? 出来過ぎなほど成功したアピール
この姿勢は1951年の映画祭開始以来、紆余曲折はありながらも基本的には伝統的なものだ。
とりわけ今回の難民救済の旗振り役というのは、真摯な思いと必要から生まれた貴重な活動に違いない。
だがそれと同時に、この “社会派”という名の個性は、今のベルリン映画祭にはかなり都合がよい面もあったのではないだろうか? そんなちょっと意地悪な仮説を立ててみたいのだ。
まずこの社会派アピールは、第一にカンヌ映画祭の脅威に対する有効な手段だと感じた。
日本では “世界三大映画祭”として一緒くたにして並べられがちなカンヌ・ベルリン・ベネチア。
だがここ近年は、映画業界人を惹きつけるイベントのパワーとして、三者の中ではカンヌが頭ひとつ抜き出ている感がある。1位がカンヌ、2位がベルリン、3位がトロントに押され気味なベネチアだろうか。
もちろん2位といっても、ベルリン映画祭が映画のプロとベルリン市民の双方に支持される、非常にバランスのとれた質の高い映画祭であることは疑う余地がない。文化度の高い市民に愛され、期間中には映画チケットが30万枚以上も売れるという。都市型映画祭の代表的な成功例となっている。
だから「パワーが弱い」などと失礼なことを言っても、それはあくまでプロ向け映画祭のカンヌと比較しての話。世界でトップクラスの映画祭であることは変わらないのだ。
ここでは映画祭の優劣を語っているのではなく、あくまで業界における映画祭としてのパワーバランスの文脈でご理解いただきたい。
さて今年、ベルリンがカンヌに押され気味であることを実感させられた例があった。
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