文部省 著 西田亮介 編
2016年04月08日
『民主主義』は1948年から53年まで使われた中学・高校向けの社会科教科書である。著者は文部省で、法哲学の尾高朝雄が中心になって編集し、上巻は48年10月、下巻は49年8月に出版された。
この本は原著の17章から適宜抜粋した上で、10章と補章に再編集されている。
『民主主義――〈一九四八-五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』(文部省 著 西田亮介 編 幻冬舎新書)
確かに「民主主義」は自明とされ、その内実を問うことは意外と少なかったように思える。
その一方で、どこか古臭いものとして、「戦後民主主義」を軽く見る風潮もあった。
この本は、GHQ占領下、民主主義の啓蒙・普及を目的として作られた教科書だけに、正面から民主主義とは何かを論じてくる。
「民主主義のほんとうの意味を知っている人がどれだけあるだろうか。……民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは、まちがいである。民主主義の根本は、もっと深いところにある。それはみんなの心の中にある。すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である」
民主主義の本質は個人の尊重だというのである。国家や民族を個人の上におき、個人を抑圧してきた戦前の全体主義への強い批判が根底にある。
年表を見るとこの時期は、48年7月に政令201号で公務員のスト権・団体交渉権が否認され、11月に東京裁判で25被告に有罪判決、翌49年7月~8月には下山・三鷹・松川事件が起こり、10月に中華人民共和国が成立、次いで50年6月には朝鮮戦争が勃発、7月にレッドパージが始まり、8月に警察予備隊が設置される。
戦後改革からの「逆コース」の時代だが、そうした中でも、民主主義教育の必要性が官民ともに自覚されていたということだろうか。
本書は、民主主義の本質に続けてイギリス、アメリカ、フランスの民主主義の歴史に触れた後、選挙権、多数決、有権者を個別に解説し、さらに政治と国民、社会生活における民主主義、日本の民主主義の歴史、日本国憲法と民主主義と進んでゆく。
終章「民主主義のもたらすもの」では、民主主義はどこにでもいる「普通人」が政治の方向を自分たちで決め、生きがいのある社会を築き上げる力を持っているとの信頼の上に成立していると説く。人間に対する信頼が高く、どこまでもポジティブな姿勢なのである。
この本には再録されていないが、全文が復刻されている『民主主義――文部省著作教科書』(径書房)で「民主主義の学び方」の章を見ると、これまでの「上から教え込む」「詰め込む」学校教育ではなく、先生が自ら教材を選び、自分で教育の仕方を工夫し、生徒の知識欲にあわせて教える教育を説いている。
また、政府が教育機関を通じて国民の道徳思想まで一つの型にはめようとする「縦の道徳」の代わりに、誰もが言うべきことは主張し、自分のしなければならないことを誠実に実行する「横の道徳」が提唱されている。こうした試みがどこまで実践されたのか不明だが、こういう教科書を文部省が著作する時代もあったのだ。
社会科の教科書だから、当時、当然そうあるべきだと思われたことが書かれているのだろうが、いま読んでも有効な社会批判の言葉に満ちている。
「日本人の心の中には、まだまだ封建的な気持ちが残っている。人間の本当のねうちを見ないで、家柄によって人をうやまったり、さげすんだりするのは、封建思想である」「日本の社会の中でも、特に手近なところで民主化される必要のあるのは、われわれの営んでいる家庭生活であろう」等々、戦後しばらくの間は追求されていた「ちいさな理想」(鶴見俊輔)を、私たちはどこで見失ってしまったのだろうか。
戦後の70年が、ただ戦前に回帰するだけの歳月であっていいはずはない。この本は、現在を照らし出す鏡としても読める。いまいる場所を確かめるためにも、手にとってほしい本だ。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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