「人形アニメーションならではの存在感と生々しさ」
2016年04月20日
『ちえりとチェリー』中村誠監督に聞く(上)――「人形アニメーションで日本の子どもたちを励ましたい」
――そもそも人形アニメーションの長編映画は日本では余り作られたことがありません。海外の作品も大ヒットの前例がありません。
国産の人形アニメーションは短編やCMが主で、原作のないオリジナル脚本による長編は日本では初めてだと思います(表1、2参照)。とても画期的で勇気のある企画だと思いました。
『ちえりとチェリー』は「なぜ日本では長編人形アニメーションが作られないのか」という疑問に対する自分なりの一つの答えとして制作したつもりです。
理由の一つは、テンポ・演出・脚本・デザインなど色々な条件から、なかなかヒットに繋がらず、後続企画が途絶えてしまったことではないかと考えています。それをクリアするためには、今を生きる子どもたちにきちんとアピール出来なければならないと思いました。
「想いを引き継ぐ」というテーマも、私が手掛けたテレビの脚本で何度か扱って来たものなのです。
――作中の子どもたちはありがちな「良い子」に描かれていませんね。親類であってもそうそう仲良くはない。
母親の悩みや苦しみが描かれている点も生々しく、実に画期的だと思いました。
中村 母親の心理を描くという方向は、共同脚本をお願いした島田満さんがプラスして下さった部分です。島田さんとはテレビの脚本で何度もご一緒しており、こちらの意図を汲んでテーマをより深く掘り下げてくださいました。
島田さんに脚本をお願いしていなかったら、今作はまったく別の作品になっていたと思うほど、島田さんのストーリーに対する比重は大きいものです。
――キャラクターのアップ、手回し風のカメラワーク、真上・真下・斜めのレイアウト、日本家屋の光と闇を強調した逆光やハイコントラストなど、人形アニメーションでは余り見かけないカットが多々ありました。セオリーに囚われず「日本のセルアニメーション的演出」に接近を試みているようにも思いました。
中村 「人形アニメーションだから、こうすべき」という規範のようなものを全て白紙に戻して、自分が「面白い」と思う方向で作ろうと考えていました。
たとえば、人形の場合、カメラを寄せ過ぎると、キャラクターがただの人形に見えてしまって興醒めしてしまう危険性から、ある程度引いた絵の方が収まりがいいんです。もちろん、あえて人形であるということを際立たせる演出の方法もあるとは思いますが、今回は違う方向を模索していました。
ですから、感情が大きく動く時などには、実写のようにアップを使ってもいいんじゃないかという考え方で進めました。
ライティングについては、時間経過ごとに太陽の位置を考えて光源を動かしていますので、キャラクターの立ち位置によっては平気で逆光にしています。常に正面から光が当たっている舞台劇風のライティングにはしたくなかったんです。
セルアニメはもともと塗りつぶされた絵の積み重ねですから、キャラクターを象徴化・抽象化しやすいと思っています。それはそれで独特の良さがあると思いますが、キャラクターの実在感を表現するのは苦手のような気がします。
人形は、もともと置いてあるだけでも強い存在感がありますし、手で触れることも出来ます。ちえりは、理想化された可愛らしい女の子というイメージでなく、「本当にこういう子がいそうだ」と思ってもらえる存在感を表現したかったのです。
――ちえりのキャラクター造形は日本の「テレビアニメ」に登場する美少女を彷彿とさせます。
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