被災者の虚無感に付き添うということ
2016年04月26日
熊本県などでの一連の地震による被災地住民の避難所生活は長期化し、住民の心身のストレス悪化が心配される。20年前の阪神淡路大震災以降、被災者の「心のケア」が重要だという認知が広まった。「心のケア」の必要性は認めるし、大切なことである。しかし、神戸や東北の震災被災地の状況を見てきたわたしには、この言葉への違和感が消えない。なぜなのか。
4月14日夜、震度7の「前震」から熊本の災いは始まった。被害の全体像はまだ明らかになっていない。復旧活動は長期化するだろう。
生活物資や常備薬の不足、炊き出しや配布食料による栄養の偏り、トイレの不便さなどが、いま被災地にいる人々を悩ませているだろう。
さらに避難所では、硬く冷たい床で寝ることの疲労に加え、プライバシーの無い生活によるストレスや、地震の体験のショック、余震や今後への不安など、心理的な負担に苦しめられている方々も少なくないはずだ。
これらのさまざまな身体的・精神的ストレスへの対応が急務であるが、その一つとして、被災地にいる人々への「心のケア」が重要であるとしばしば主張される。
被災者の「心」への配慮は、1991年の雲仙普賢岳噴火災害、奥尻島に津波被害を引き起こした1993年の北海道南西沖地震ごろから始まったが、「心のケア」や「トラウマ」という言葉が一般化したのは、なにより1995年の阪神淡路大震災からである。
以後、兵庫県をはじめとして各地に「こころのケアセンター」が設置され、政府が取りまとめた東日本大震災の「復興基本方針」でも「心のケア」は中長期的対応の重点分野の一つとされている。熊本地震でもひとつの課題となるだろう。
しかし正直なところ、わたしはこの言葉を見聞きするたび、居心地の悪さを感じる。わたしは大学院で「トラウマ」に関連する国内外の歴史について研究しているが、その出発点は95年以来の「心のケア」に対する疑問にあった。
この言葉は95年を境に突然使われ始めたが、それ以前はどうであったのか、あまり問われていない。そして、阪神淡路大震災から東日本大震災までの震間期を経て現在までの約20年間、「心のケア」という言葉が流布しながら、同時に日本社会である種の冷笑主義や排外主義が悪化したという、奇妙な「ねじれ」がある。
被災地にいる人々の精神的健康への配慮はもちろん重要だ。今後、精神科医、臨床心理士、保健師などによる診療や調査が本格化するだろう。また、学校へのスクールカウンセラーの派遣・配置なども検討されるかもしれない。
こうした取り組みが可能であること自体、この20年間の専門家の努力の賜物である。行政にはこれらの活動を手厚くサポートしてほしいとおもう。
しかし、それにも関わらずわたしが「心のケア」という言葉に違和感を持ち続け、やや否定的な立場をとるのは、次の二つの理由による。
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