大槻慎二(おおつき・しんじ) 編集者、田畑書店社主
1961年、長野県生まれ。名古屋大学文学部仏文科卒。福武書店(現ベネッセコーポレーション)で文芸雑誌「海燕」や文芸書の編集に携わった後、朝日新聞社に入社。出版局(のち朝日新聞出版)にて、「一冊の本」、「小説トリッパー」、朝日文庫の編集長を務める。2011年に退社し、現在、田畑書店社主。大阪芸術大学、奈良大学で、出版・編集と創作の講座を持つ。フリーで書籍の企画・編集も手がける。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
本土の人間は沖縄の何を見てきたのか
新垣毅 「『琉球新報には貸さない』と大家に断られて――はびこる排外主義と『真の愛国者』(WEBRONZA)
なぜだか最近、繰り返し聴いてしまう一群の曲がある。
それは女性が歌うプロテストソングで、なかでもジュディ・コリンズの「メドガー・エヴァーズの子守唄」だったり、シネイド・オコナーの「スキバリーン」などの再生率が高い。
前者は1963年に白人の差別主義者によって銃殺されたミシシッピ州の黒人解放運動家、メドガー・エヴァーズのことを歌っていて、残された妻が幼子に父親の死の真実を語るという形をとっている。
また後者はアイルランドに伝わる民謡で、19世紀半ば、ジャガイモの大飢饉に襲われて税金も払えなくなり、家主にも追われて米国に逃れた父親が、息子にその悔しさを語って聞かせるというものだ。
いずれもいわれなき差別や不条理に出会ったときに、人間の心に込み上げる怒りや哀しみを歌っていて胸に迫るが、それらの詩を歌い上げる彼女たちの肉声のなかに、母性から大地につながる自然のパワーを感じて元気づけられる。
それらに比するわけではないが、女性の肉声が心に響いたという点では同質のものをあるイベントで経験した。
それは昨年(2015年)末、深く関わっている日本編集者学会で企画した「沖縄は今、何と闘っているのか」というセミナーでのことだった。
米軍普天間基地の辺野古移設を巡る政治とジャーナリズムの問題を取り上げて、沖縄タイムスと琉球新報の東京支社の報道部長お二人をお呼びし、われわれ学会の山田健太さん(この「WEBRONZA」でもお馴染みの筆者)が進行役を務めるというトークで、まず沖縄タイムスの宮城栄作さんが資料を駆使して、辺野古のいまに至るまでと現状を報告したあと、「本土の方には信じてやまない“沖縄の神話”がある」というテーマで、琉球新報の島洋子さんが話された。
山田健太「言論封殺のための『言論の自由』は存在しない――自民党『報道圧力』はなぜ許されないのか」(WEBRONZA)
もっともこちらはジュディ・コリンズやシネイド・オコナーに溢れるペーソスとは無縁で、ジャーナリストとしてまことに理路整然と、ある種の快活さまで纏(まと)ってこちらの頭脳に畳みかけてくる。
すなわちまず、「そうは言っても沖縄は基地で食べているんでしょ」という神話。
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