安田理央 著
2016年05月12日
「痴女」とは、ある辞書によれば「情欲の赴くまま行動する淫乱な女性のこと」とある。
「赴くまま」とは? 「行動」とは? 何とも淫靡で魅力的かつ謎の定義だが、本書は、そうした「痴女」像に一つの回答を与えたのかもしれない。
『痴女の誕生——アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』(安田理央 著 太田出版)
「アダルトビデオ」というだけで、毛嫌いしたり一顧だにしない人もいるだろうが、それへの反論としては、高橋源一郎のオビが言い尽くしている。
「アニメやマンガや文学や美術も大切だ。だが、アダルトヴィデオの歴史を知らなければこの国の文化はほんとうにはわからない」
ここで石原慎太郎の「価値紊乱(びんらん)」なんて言葉を持ち出すのは牽強付会すぎるかもしれないが、文学、美術、映画、音楽などの「メインカルチャー」とAVは等価だという考え方を僕は支持したい(そういえば、かつて田中康夫がルイ・ヴィトンのバッグを持つことと岩波書店の難解な本を読むことは同じだ云々と書いていたのを思い出す)。
話を戻そう。AVが初めて出たのは1981年(ピンク映画はもっと前)、以来、今では年間2万4000点も出ているという。フツーの映画の日本での新作公開本数は邦画と海外映画を合わせて年間1000本超だから、AVの制作数はケタ違いだ。
本書はそうしたAVジャンルの変遷が、作品、女優、雑誌などの膨大な固有名詞とともに語られる。あいにく、僕は飯島愛や黒木香といった、かつての著名人以外の名称はさっぱりわからないのだが(気になる固有名詞はネットで検索してしまいました)、それでも、女性がどう描かれ、どう変化したのか、蒙を啓かれた。
淫語を使って男を責め、その行為に男も女も発情していくという「痴女」はアダルトメディアでは90年代になってつくられたというが、その前段階として発展してきた「熟女(人妻)」ものは、今ではAVの中で最大のジャンルで全体の3割を占めるそうで、その系譜をたどるのはなかなか刺激的だ。
また、「ニューハーフ・女装」もののなかでも2000年代末ごろから出てきた、女装した男(性転換するわけではないので、男のアソコはついている)=「男の娘(おとこのこ)」ものが、ジャンルとして成立していることはうっすらと知ってはいたが、ここまで隆盛を誇っているというのも驚きだった。
さて、AVで描かれる「女性像」など、男の欲求、妄想、願望を写しだしたものにすぎないとばっさり斬り捨てることも可能だろう。
たしかに、AVは「男性の妄想を具現化した」はずだった。だが、『anan』の定番となったセックス特集をはじめ、本書で縷々(るる)明らかにされるように、男性を責める「痴女的」な行為が大手をふって、女性向けの漫画やゲームも含めてメディアにあふれ、女性AV監督の作品が人気を集めたり、ネットで女性たちが自らの裸や性行為まで晒してしまっているのが現在だ。
こうした痴女の「拡散と浸透」「素人の過激化」現象は、著者からすると、「女性たちはAVなどで描かれた痴女の要素を取り入れていった」と解釈される。もはや男性よりも女性の性意識が劇的に変わりつつあって、男性の側がまだそこに気づかない、あるいは都合のいいように受け止めているだけなのかもしれない。このように、AVの変遷を描きながら、日本人の性文化/性意識の変貌を浮かび上がらせたのが本書の核心だろう。
なお、巻末に30ページほどある「日本アダルトメディア年表 1950~2015」は、事件や流行、社会現象とアダルトメディアが並走した日本戦後文化史を一望できて大変に貴重な資料だ(それこそ「妄想」にふけっていた中学生~学生の頃の時代的位置づけをあらためて俯瞰できたのも楽しい)。
ついでながら、再び高橋源一郎のオビの惹句を引用しよう。「安田理央に文化勲章を!」(高橋さん、言い過ぎだ!)。もし、著者に文化勲章が授与されでもしたら、僕はもう、この国家に殉じてもいい(笑)
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください