勝部元気(かつべ・げんき) コラムニスト・社会起業家
1983年、東京都生まれ。民間企業の経営企画部門や経理財務部門等で部門トップを歴任した後に現職。現代の新しい社会問題を「言語化」することを得意とし、ジェンダー、働き方、少子非婚化、教育、ネット心理等の分野を主に扱う。著書に『恋愛氷河期』(扶桑社)。株式会社リプロエージェント代表取締役、市民団体パリテコミュニティーズ代表理事。所有する資格数は71個。公式サイトはこちら
勉強を奪うことは自由を奪うことに等しい
2016年4月13日に発売されてオリコン1位を獲得したHKT48の7thシングル『74億分の1の君へ』。そのTYPE-Cにカップリング曲として収録された『アインシュタインよりディアナ・アグロン』の歌詞(作詞・秋元康)が、女性蔑視かつ女性差別的であるとしてネット上で大きな批判を呼んでいます。
「頭からっぽでいい」
「女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい」
「どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない」
「世の中のジョーシキ 何も知らなくてもメイク上手ならいい」
「女の子は恋が仕事よ」
「ママになるまで子供でいい」
全体的に「女の子は未熟・無知であれ」「女性は自立した大人になるべきではない」というニュアンスで受け止められる内容であり、まるで昭和以前の女性差別を彷彿とさせるような内容に唖然とした人も多かったのでしょう。
「勉強」と「可愛くある」ということがトレードオフの関係であるような書き方にも驚かされます。
さらに騒動はそれだけでは収まりませんでした。
この歌詞に対してネット媒体で批判を展開している記事がいくつかありましたが、そのうち、「LITERA」というネット媒体に対して、AKBグループの運営管理を行っている株式会社AKSより、名誉毀損と侮辱罪を訴えて法的措置も辞さない覚悟を伝えるメールが届けられたとのことです。
「秋元康の歌詞を「女性蔑視」と批判したら、AKB運営から「名誉毀損及び侮辱罪」「記事を削除せよ」の恫喝メールが」
確かにLITERAの記事は表現に厳しい部分があるものの、事実を捻じ曲げているわけではなく、あくまで評論の範囲内でしょう。にもかかわらず、このような対応が露わになったために、ネット上では再度物議を醸し出しています。
そこで今回は、なぜこの歌詞が問題なのかを論証するとともに、私がハフィントンポスト日本版で書いた記事「『女の子は頭からっぽでいい』がクールジャパンなのか?」に対して寄せられた反論等を参考にしながら、女性蔑視と女性差別が無くならない背景について論じて行こうと思います。
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