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HKT48「頭からっぽでいい」の罪(中)

エマ・ワトソンがいない日本のサブカルチャーと「ガラパゴスセクシズム」

勝部元気 コラムニスト・社会起業家

 前回の(上)に引き続き、HKT48の新曲『アインシュタインよりディアナ・アグロン』の歌詞が、女性蔑視かつ女性差別的として話題になった問題を見て行きたいと思います。

 前回は歌詞が女性差別および女性蔑視に該当するか否かについて述べてきましたが、今回は、サブカルチャーのあり方について論じて行きます。

HKT48HKT48の公式サイトより
 歌詞を批判している記事や人々に対して、「所詮はサブカルチャーに過ぎないのだから、いちいち批判するほうがおかしいのでは?」という反論が数多く見受けられました。

 ですが、それは以下の3点において間違いであると言えます。

(1)解決すべき差別の現状を肯定している

 「女の子は恋が仕事」という神話をまことしやかに信じている親や会社や社会が、女の子より男の子により多くのリソースを割くという女性差別の現実があります。

 たとえば、「女子は大学に進学しなくても良い」と言って教育投資を怠る親や、「女の子は浪人してまで偏差値の高い大学を目指さなくて良い」と言って娘の未来に制限をかける親、男の子には勉強をさせるのに、女の子には勉学よりも習い事をたくさんさせて、いわゆる「お嬢様」に育てようとする親もまだたくさんいます。

 大人になってからも、女性は結婚して辞めるからという理由でチャレンジングな仕事を与えず、成長の機会を奪う会社も依然たくさんあります。お茶くみ、来客の対応、電話応対などを女性社員にだけ行わせるのも、その間男性社員は普通に仕事ができるわけですから、確実に機会損失に繋がります。

 また、「勉強よりも恋」という発想は、「仕事よりも男性に媚びる女性」が重宝される風潮にも繋がっています。たとえば、職場で女性社員がセクハラに寛容であることや飲み会の席でお酌が求められること、さらには芸能界どころか一般企業でも「枕営業」が根強く残っていることも、根っこは同じです。

 このように改善しなければならない女性差別および女性蔑視の問題が現実社会に多々あるのにもかかわらず、逆にそれを肯定するような歌詞は「たかが歌詞」では済まされません。

 それでもなお分かりにくいという方には、この問題を男性に置き換えてみれば、HKT48の歌詞がどれだけの女性の心をえぐるものか理解できるはずです。

 「男にはプライベートなんて要らない。仕事が全て。休日返上当たり前。会社に人生の全てを捧げましょう。休みたいなんて甘えを吐いたら負け。24時間365日戦えますか? ブラック企業バンザイ!」という歌詞の曲であったならば、反発する男性も多いのではないでしょうか? 

 また、歌詞の「女の子」という箇所に様々な属性の人々を入れ込んでみてもよく分かります。たとえば、「日本人は頭からっぽでいい」というアメリカの歌があったら、日本人はどう感じるでしょうか? 明らかに日本人蔑視だと感じるでしょう。

(2)自立を勧めるサブカルチャーが無い

 「たかがサブカルチャー」で済まない理由の2つ目は、

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