「かつてはこうだった」という保守的な判断
2016年05月23日
すでに広く報道されているように、先日5月9日(月)、美術家ろくでなし子さん(被告)に対する判決が東京地裁で言い渡された。まず基礎的事実を確認しておくと、彼女は3件の事件について、「わいせつ」を規定した刑法175条に違反しているとして起訴された。列挙するとこうなる。
1)女性器の象(かたど)りをもとに装飾を施して制作した「デコまん」と名付けられた3点の創作物の陳列。
2)彼女自身の女性器の3Dデータをインターネット上のクラウド・システムを通して支援者に頒布。
3)同じ3Dデータの入ったCDを個展会場で数人の支援者に譲渡。
平たく言えば、「デコまん」というオブジェ的な創作物に関しては、その芸術性を勘案して無罪としたが、2、3の3Dデータに関しては、「主として受け手の好色的興味に訴えるものになっている」とし、「普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」と認められるから有罪だとしたのである。
この裁判は、ろくでなし子さんの挑発的な作家名や派手なパフォーマンス含みの振る舞い、あるいはSNS上での活発な発言などもあいまって大きな注目を浴びることになり、判決に対しても種々の反応が飛び交っている。
映画や文学の領域では、刑法175条に定める「わいせつ」にかかわる裁判が過去何度か争われたが、美術表現の領域で正面から争われたのは初めてだった(メイプルソープ写真集の事件は、関税法による裁判)こともあり、判例として今後長く影響を及ぼすだろうと目されることも関心を集めた要因だ。
彼女自身が完全無罪を目指し控訴することを早々と宣言したのを受け、たとえば、美術評論家連盟の有志(私も含まれる)は、この判決に対して抗議声明を発表している。いったいこの判決の、いや翻って、ろくでなし子さんの逮捕(2回)から結審にいたる過程において、なにが明らかになりどんな問題が残されたのだろうか。
まず、この裁判の根幹にかかわり、未決の問題として残りつづけているのは、美術(芸術)とわいせつの関係だ。
私自身は、意見書の中でも出廷証言の中でも触れたが、この二つのカテゴリーは
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