子安宣邦 著
2016年05月26日
書店の本棚を見ても、「大正史」というような本は「昭和史」に比べれば圧倒的に少ない。私たちは歴史の授業で習った「大正デモクラシー」という用語を思い出し、激動の昭和が始まる前の穏やかな時代という印象を持っているかもしれない。
しかし、本書を読んで、大正時代に起きた「思想」をめぐる事件が昭和、それどころか21世紀までの現代史を方向づける転換期だったことを教えられた。
『「大正」を読み直す——幸徳・大杉・河上・津田、そして和辻・大川』(子安宣邦 著 藤原書店)
「私はこの昭和とは大正がまさしく作り出したのではないか、昭和一桁生まれの私は大正が作り出した昭和という全体主義的時代の中に生み落とされたのではないかと思うようになった」
1933(昭和8)年生まれの著者は日本思想史研究の第一人者で、80歳を超えて精力的に研究・執筆を続けている。
市民講座で「近代の超克」論や和辻哲郎の倫理学、日本人の中国論という昭和戦前・戦中期の思想や言論を読み直したところ、長い研究活動の中でも消極的な関心しかなかった「大正」という問題が迫ってきたのだという。
著者は歴史学者の成田龍一氏の『大正デモクラシー』(岩波新書)に触発されるかたちで大正を「再発見」する。成田氏は大正デモクラシーという思潮は1905(明治38)年の「日比谷焼打ち事件」に「始まり」があると規定した。
日比谷事件は日露戦争の講和内容を不満とした大規模な民衆騒擾だが、1918(大正7)年の米騒動まで日本では騒擾事件が頻発する。直接行動の主体は「雑業層」と「旦那衆」という庶民と中間層であり、著者はその時に日本社会に「大衆」という存在が生まれ、「国民」というものが形成されたとみる。
民衆が「秩序を動かしていくエネルギー」として勃興していく中で、「民」の側に立つ思想と言論も新しい展開をしていく。それは大正デモクラシーという思潮であり、当時の時代状況から社会主義やアナーキズムに傾倒していくことでもあった。
しかし、本書が冒頭から示すのは、「民」の側に立つ思想が、大正の「始まり」においてから「抹殺」されていくという驚くべき歴史だ。
大正が始まる前年の1911年(明治44)年に判決が下された「大逆事件」は、天皇暗殺未遂という「でっちあげ」で社会主義者、無政府主義者が狙い撃ちされ、幸徳秋水ら11人が処刑され、多くの連座者が獄につながれた。
行為によってではなく、ただ「社会主義者である」という存在だけで、近代日本で初めての「国家による〈思想〉の殺戮」が行われたのが大正の「始まり」だったのだ。
著者の大正の「読み直し」は大逆事件から、幸徳秋水のストライキなどの「直接行動」をとるアナーキズム転身をめぐる検証にいったん立ち戻る。大逆事件は「国家」による思想の虐殺だったが、それに先だって急進性を嫌う同じ社会主義者からも思想的な抹殺を受けていたことを明らかにしている。
「日本の近代社会が〈大衆社会〉として成立しようとしているその時期に、国家によって先手を打つようにしてなされた社会主義思想の殺戮事件、そして社会主義者自身が己れの陣営から消し去ってしまったものは何かを、その喪失したものの大きさとともにあらためて見出す」ということが大正を読み直す意味だと著者は記す。
本書は、幸徳秋水のアナーキズムに関連して大杉栄の「文章」の再読へと進む。
1923(大正12)年の関東大震災で甘粕正彦大尉によって虐殺されたアナーキストという事件的な視点ではなく、思想家として大杉を読み直したとき、民衆の「生の営み」に立脚した豊かなオルタナティブ思想が再発見される。しかし、その大杉もまた国家によって抹殺されたのが大正だった。
大杉は、大正デモクラシーの代表と現在ではみなされている吉野作造の「民本主義」を徹底的に批判した。本書で教えられたのは、吉野は主権が人民にあるという「民主主義」は「哲学的観念」に過ぎず、デモクラシーの訳語は「民本主義」が適当だとしたことだ。
その「民本主義」とは、「国家の主権の活動」として「政治が人民の利益を目標」とするもので、「主権在民」ではなく「国権論」だったということに驚きを禁じ得ない。ふと、権力を縛るための立憲主義を、公共の利益のためだと民を縛るように変更しようとする現在の改憲の動きを思い起こしてしまう。
本書はさらに、河上肇の『貧乏物語』が実は貧困問題を解決するためではなく、その後、河上が自ら自著を否定したことを記す。歴史学者の津田左右吉が記紀「神代史」が「民衆とは無縁の物語」だと見抜いたことと、その反動として「転向」後の和辻哲郎が古事記を「民族神話」として再構築したことを対比する。
昭和ファシズムのイデオローグとみなされた大川周明が、大正期にはソ連のボルシェビキ政権を社会主義者よりも礼賛し、それゆえに「日本精神」という全体主義思想へつながる回路があったことも読み解く。
著者は繰り返し、今なお大逆事件が解決されていないことを強調する。実際に最高裁は1967年に大逆事件の再審請求の特別抗告棄却を決定している。「戦後日本の法廷はもう一度審査し、大逆事件の有罪を再確認した」ことは、今もなお「『大逆事件』を『大逆事件』として許している国家・社会であることをわれわれは知らなければならない」という著者は言う。
「われわれは戦後『民主主義国家』日本として国家的再生をしていった。だが戦後の『民主主義国家』日本の国家的発展史は『民主主義』の衰退史ではないか、『民主主義』はもはや死に瀕していると大杉栄とともにいいたい」との昭和一桁生まれの思想史家の言葉に身震いをした。
昭和の前夜としての大正を知ったとき、私たちはどのような「前夜」にいるのかを思わざるを得ない。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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