林 道郎(はやし・みちお) 美術史家、美術批評家
1959年生まれ。東京大学文学部卒業。1999年、コロンビア大学大学院美術史学科博士号取得。武蔵大学准教授などを経て、上智大学国際教養学部教授・学部長。著書に『いま読む! 名著 死者とともに生きる――ボードリヤール『象徴交換と死』を読み直す』(現代書館)、『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』(全7巻、ART TRACE)など。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
「美術」であるから無罪という結論に満足してはならない
「ろくでなし子裁判一審判決を受けて(上)――「かつてはこうだった」という保守的な判断」(WEBRONZA)
ろくでなし子裁判一審判決を受けて(中)――硬直した性器中心主義の反復(WEBRONZA)
まず、基本事実として再確認したいのは、ろくでなし子さん(被告)の今回の3Dデータ頒布は、「マンボート」という一人乗りカヤックを制作するプロジェクトの一環として行われたということだ。
そのプロジェクトのためにクラウド・ファンディングを利用した彼女は、支援者へのお礼としてダウンロード可能なネット上の保存先へのリンクを教え、数名がそこからデータをダウンロードしている。そして、画廊での展示の際に、ミニチュアの「マンボート」を購入してくれた数名に「おまけ」としてCDでデータを渡している。
つまり彼女は、問題の3Dデータをそれ自体として販売した事実はなく、あくまでも「マンボート」プロジェクトの範囲内でごく限られた人に配ったにすぎない。しかもそのデータは、上述したように無味乾燥なもので、それを実際に見るためには専用のソフトウェアが、またプリントアウトするには一般にはほとんど普及していない3Dプリンターが必要になる。
ここには少なくとも二つの重要な問題が示唆されている。ひとつは、美術とテクノロジーの問題だ。新しいテクノロジーが社会に登場したときに、その表現上の可能性をめぐって様々な試行錯誤が繰り返されるのは、美術の現場においては当然のことである。19世紀前半に写真が登場したときには、芸術性に欠けるとして大いに批判されたが、その後の歴史をへて、いまや写真は美術表現の媒体として立派な市民権を得ている。
基本的にはこれと同じことが3Dプリンターにおいても起こるだろう。どのようにしてその技術の使用価値を発見していくのか、すでにその実験は始まっており、今後もさらに多様な試みがなされていくにちがいない。
ろくでなし子さんにも、ある必然性があった。なぜなら3Dデータは、直接印象材を性器に当てて制作する「デコまん」と異なり、
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