2016年06月20日
父親による「娘殺し」と娘による「父殺し」という視点から、『晩春』を見返してみると、この作品が、冒頭の北鎌倉円覚寺の茶室で行われたお茶会のシーンにはじまり、「父親」と「娘」を巡る対的関係性が、最終的には「子殺し」と「親殺し」という古典的悲劇のドラマに展開していく布石が、いくつか周到に描き込まれていることが分かる。
すなわち、小津安二郎とシナリオ共同執筆者の野田高梧が、茶室のシーンの次に打った布石は、原節子に、淡い恋心を抱かせる青年として、宇佐美淳演じる服部昌一という、大学研究室で笠智衆の助手を務める男を、曾宮家に出入りさせたことであった。
そこへ、原が入ってきて、「ただいま――あ、服部さん、いらっしゃい」と笑顔で挨拶し、笠から「お茶入れとくれよ」と頼まれる。
原は、「はい」と応えたあと、「服部さん、ゆっくりしていいんでしょう?」と誘う。
しかし、服部から「いや。今日はおいとまします」と断られ、「いいじゃないの、明日だったらあたしも東京へ行くわ」と、泊まっていくことをすすめる。
このように何の屈託もなく原の口から出て来る、「泊まっていけ」という誘いの言葉に、原が服部に対して、あたかも仲の良い兄に対する妹のような親密な感情を抱き、服部が曾宮家に、家長である笠智衆の助手というレベルを超えて、家族の一員に近い形で受け入れられていることが、すんなりと見るものに受け入れられていく。
さらにそのうえで、「あたしも一緒に東京へ行くわ」と、原が甘えたように誘う
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