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「マタニティマークはいやだ」現象を考える(上)

子育て世代に優しい社会?

木村涼子 大阪大学大学院人間科学研究科教授

 「あれ? 赤ちゃんがいるのかな?」

 となりに立っていた同僚教員が私にささやいた。勤務大学の大学院ガイダンスがおこなわれている大教室の後ろの方から、小さく赤ちゃんの泣き声が聞こえたのだ。

 「ええ、おそらくうちの研究室の大学院生です」。私の返答に、同僚は笑みをみせた。

 現在、教員・職員はもちろん、大学院生の間でも子育て中の人は多い。くだんの大学院生は現在3歳児と乳児のふたりの子どものお母さんだ。大学院の研究、仕事、家事育児の3つを両立しようとまさに悪戦苦闘している。悪戦苦闘とはいえ、彼女の笑顔は明るい。

 今年4月のガイダンスの数日前、下の子の保育所入所が間に合わず、また当日ちょうど家族がみな都合つかず、彼女は困っていた。お子さんの様子をみながら、子連れでガイダンスを受けてみたらと話した。

 その日幸いご機嫌がよかった赤ちゃんはガイダンスを妨げるような泣き方もせず(そうなっていたら、彼女は一時退室しただろう)、無事に子連れガイダンスは終わった。

 これは正規時間中での応急処置的なケースだが、授業が終わった夕方に若い教職員や大学院生が保育所にお迎えに行った後、子連れで研究室に寄ったり、お昼休みに卒業生が子どもと一緒に研究室に顔を見せてくれたりすることは珍しくない。研究室でお茶や軽食パーティなどする時には、複数の幼児・乳児が居て、にぎやかになる。

 子どもを育てること、学んだり研究したりすること、さらには働くことが、同時に進行している状況を目にする度に、教員の私も研究室の学生もさまざまな刺激やエネルギーを得る。

「誰も譲ってくれない。どうして?」

マタニティマーク拡大マタニティマーク
 マタニティマークをつけて通勤や通学をしている妊娠中の大学院生が、「マタニティマークには効力がない」と嘆いているのを聞いたことがある。

 マタニティマークとは、「妊産婦が交通機関等を利用する際に身につけ、周囲が妊産婦への配慮を示しやすくする」ことをねらいに、2006年に厚生労働省が定めたピンクのハートと母子が描かれたデザインのものだ。

 出産ぎりぎりまで働いていた大学院生は、マタニティマークをずっとつけて通勤していたが、毎日相当につらい思いをしていた。妊娠初期で大事にした方がよい頃にマタニティマークをつけていても、誰も席を譲ってくれない。

 マタニティマークに望みを託し、マークを身体の前にくるようにして優先座席の前に立つ。元気そうに見える若者も屈強そうな人も(あくまでも一見そう見えるということにすぎないが)、目の前にちらつくマタニティマークをそろって無視する。

 おなかが大きくなって、どこからみても妊婦という状態になっても、事態は同じだったそうだ。来る日も来る日も誰も席を譲ってくれないことに驚いていた彼女の気持ちは、やがて嘆きに、そして深い疑問に変わっていった。どうしてなのだろう、と。

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筆者

木村涼子

木村涼子(きむら・りょうこ) 大阪大学大学院人間科学研究科教授

1961年生まれ。1990年、大阪大学大学院人間科学研究科博士課程単位取得退学。大阪大学大学院人間科学研究科教授。博士(人間科学)。専門は、近代日本におけるジェンダー秩序、ジェンダーと教育研究など。『<主婦>の誕生――婦人雑誌と女性たちの近代』(吉川弘文館)、『学校文化とジェンダー』(勁草書房)など著書多数。