世界のすべての映画はカンヌを目指す
2016年06月29日
カンヌ国際映画祭に実に31年ぶりに参加した。1985年当時は大学4年生だった。そんなことをここ10年ほど通っている日本人のカンヌの常連に言うと、みんな目を丸くする。その頃はどうだったのですか、と。まるで老人のような気分になって振り返ると、確かに違う。
今では、正式に映画祭に登録した映画業界関係者が3万5000人、ジャーナリストが5000人で、同じくらいの数の登録してない関係者や一般客が来るという。南仏の海岸沿いの7万人の街は、まさにごった返していた。
かつては海岸には高級ホテルのプライベートビーチを除くと何もなかったが、今やマーケットのテントが何十と張られていて、海岸を見るにはクロワゼット大通りをずいぶん遠くまで歩かないといけなくなった。
とにかく映画1本を見るのに、何百人もかき分けて会場に入る。そのうえ、2015年のテロの影響でずいぶん厳しいセキュリティチェックもあるので、席につくまでが一苦労。まだのどかだった31年前とは、すべてが大きく変わった。
かつて、カンヌは商業的、ベルリンは社会派、ベネチアは芸術的とイメージ的に区分けされていた時代があった。またカンヌに間に合わなければベネチアに出せばいいというゆっくりした時間の流れもあった。
31年前はカンヌに出ていたアジア映画は日本映画がほとんどで、世界の多くの国の映画産業はカンヌとは関係なかった。ところが今や世界中で作られる映画は、究極の目的としてすべてカンヌを目指すといっても過言ではない。カンヌに出れば世界のマーケットが開かれるから。
だからカンヌはベテラン監督でも容赦なく落とす。例えば
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください