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カンヌ国際映画祭に31年ぶりに参加して(上)

世界のすべての映画はカンヌを目指す

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

 カンヌ国際映画祭に実に31年ぶりに参加した。1985年当時は大学4年生だった。そんなことをここ10年ほど通っている日本人のカンヌの常連に言うと、みんな目を丸くする。その頃はどうだったのですか、と。まるで老人のような気分になって振り返ると、確かに違う。

 今では、正式に映画祭に登録した映画業界関係者が3万5000人、ジャーナリストが5000人で、同じくらいの数の登録してない関係者や一般客が来るという。南仏の海岸沿いの7万人の街は、まさにごった返していた。

パレ付近の混雑混雑するパレ(フェスティバル宮殿)付近=撮影・筆者
 31年前に比べて、まず会場の数が広がり参加者が圧倒的に増えた。かつてなかった60周年会場ができ、マーケット会場はその地下にも大きく広がった。

 かつては海岸には高級ホテルのプライベートビーチを除くと何もなかったが、今やマーケットのテントが何十と張られていて、海岸を見るにはクロワゼット大通りをずいぶん遠くまで歩かないといけなくなった。

 とにかく映画1本を見るのに、何百人もかき分けて会場に入る。そのうえ、2015年のテロの影響でずいぶん厳しいセキュリティチェックもあるので、席につくまでが一苦労。まだのどかだった31年前とは、すべてが大きく変わった。

「超常連」監督も落とす「権威」に

 かつて、カンヌは商業的、ベルリンは社会派、ベネチアは芸術的とイメージ的に区分けされていた時代があった。またカンヌに間に合わなければベネチアに出せばいいというゆっくりした時間の流れもあった。

 31年前はカンヌに出ていたアジア映画は日本映画がほとんどで、世界の多くの国の映画産業はカンヌとは関係なかった。ところが今や世界中で作られる映画は、究極の目的としてすべてカンヌを目指すといっても過言ではない。カンヌに出れば世界のマーケットが開かれるから。

 だからカンヌはベテラン監督でも容赦なく落とす。例えば

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