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[書評]『昭和の子』

三原浩良 著

東海亮樹 共同通信記者

戦後民主主義とともに走った記者

 職場や酒場での雑談で「昭和がまた一つ終わった」という話をよくするようになった。

 戦後71年。敗戦時に子どもだった人たちがだんだんと鬼籍に入っていく。敗戦の玉音放送の記憶をまとめた『子どもたちの8月15日』(岩波新書)を本書が引用しているが、永六輔さん、安丸良夫さん、筑紫哲也さんという名前を見ると、それぞれの人がそれぞれの持ち場で「戦後民主主義」のために戦っていたということを思い起こす。

 本書は、昭和12(1937)年生まれの元毎日新聞記者の「自分史」だ。

『昭和の子』(三原浩良 著 弦書房) 定価:本体2000円+税『昭和の子』(三原浩良 著 弦書房) 定価:本体2000円+税
 著者は新聞社を定年後、福岡市の地方出版社「葦書房」の代表を引き受けたことでも知られている。

 一貫して九州の「地方記者」として働き、出版人としては水俣病を文学として描いた作家石牟礼道子さんや、日本の近代を問い続けた歴史家渡辺京二さんの著作を世に送り出した。

 新制中学・高校での民主主義教育、60年安保に揺れた大学時代、水俣病や長崎大水害などさまざまな事件・事故の取材をした記者生活が記されている。著者は、「あの戦争のさなかに育ったわが身にひきよせ、とりわけ同世代の体験にこだわって、『昭和』の小さな物語をつづってきた」と終章で書いている。

 読み終えて、同業の一世代下の後輩だからなのかもしれないが、「小さな物語」が心にずしんと響いている。

 学者でも小説家でもない無名の書き手である記者は、著者が言うように「『時代』の断面のあれこれ、あの人、この人」に出会い、見て、聞いて、書く。

 後輩としてあえて稚拙な表現を使うと、著者の三原記者は「すごい」のだ。政治家と渡り合ったり、国際報道でスクープを飛ばしたりする敏腕記者という意味ではない。地方の社会部記者として市井の人々に話を聞き、地域のことをわがこととして考える。水俣病の問題では記者という立場を超えて渡辺京二さんらとともに「告発する会」のメンバーになり、デモにも加わる。

 三原記者は渡辺さんに教えられ、まだ無名だった石牟礼道子さんの『苦海浄土』の初稿を読み、衝撃を受けている。そういう「遭遇」が記者として「すごい」のだ。水俣病の科学的問題を解明した宇井純東大助手の論文をいち早く読み、朝日新聞の特ダネに対して「それはもう宇井さんが書いていることですよ」と言えるのが現場の記者としての強さだ。

 エピソードは数多い。当時の同僚の岸井成格さんとともに国労幹部の不当逮捕を取材で明らかにした。岸井さんが今、報道の自由のために、口をつぐんでいないのは知られている通りだ。長崎大水害では義援金が遺児の奨学金に使われるようにキャンペーンを張った。行政の欺瞞は今も変わらない。

 そうした正義感は著者だけのものではなかったのかもしれない。しかし、新聞社は今も昔も旧弊にとらわれ、硬直した組織ではある。市井の人々が必ずしも味方というわけでもない。国労幹部の事件では、組合から「ブル新」と追い返される。若い人はブル新(ブルジョア新聞の略)の言葉も知らないだろうが、今で言えば「マスゴミ」だろうか。

 それでも記者が記者らしく躍動していた時代がうらやましい。彼らを突き動かしていたのは何だったのだろうか。それは本書前半の、著者の子どもから学生時代の自分史からうかがえる。

 著者は松江市の農村地帯で生まれ育ち、敗戦時は国民学校2年生だった。「あの日」の記憶もおぼろげだという。「戦中派と戦後世代にはさまれた『国民学校世代』、つまりわたしの世代はそうした曖昧さをかかえたまま戦後をむかえたような気がする」という。

 それが「昭和の子」の精神形成の出発点だった。そして新制中学、新制高校で学んだ最初の世代でもある。著者が通った新制松江高校の「民主主義のレッスン」は今の高校生には想像もつかないかもしれない。

 新聞部をつくった著者たちは、最初の号で米子市の米軍基地周辺を特集して米兵相手の売春婦のインタビューをし、読売新聞に「赤い学生新聞」と大見出しで批判される。学校では久野収や羽仁五郎といった知識人たちの講演会が開かれ、京都学派で反動的とされた天野貞祐に生徒が、「あの戦争にあなたの責任はなかったのか」と詰め寄る。

 若者の政治離れや投票率の低さが嘆かれる昨今からは隔世の感がある。それこそが「主権者教育」かもしれない。「政治の季節」や「マルクスボーイ」の時代の話と切り捨てる向きもあるだろう。しかし、そうした時代を経験した70代の人たちと私たちが同じ世界に今も生きているということは、若い人に知ってもらいたいと思った。

 著者は丸山真男の「大日本帝国の『実在』よりも戦後民主主義の『虚妄』に賭ける」という言葉を引き、「理想はつねに現実に敗北するかもしれぬが、それでも理想の旗はかんたんにおろしてはなるまいと思う。傷ついた憲法とともに『戦後民主主義』を『虚妄』にしてしまうのか。すべては今後にかかっている」と本書を締めくくる。

 私は昭和43(1968)年生まれで、戦後民主主義のなかをぬくぬくと生きた世代であり、実はこうした言葉は「聞き飽きた」と感じてきた世代だ。しかし、本書で戦後民主主義とともに走った記者の「昭和の小さな物語」を読み、憲法をめぐる状況がにわかにきな臭くなった今と重ね合わせると、胸がざわついてくるのはなぜだろうか。

 著者は現在、故郷松江に戻り、静かな生活を送っているという。あとがきで病を得たことを記しているが、まだまだたくさんのことを聞きたいと思っている読者が一人いることだけは、この場を借りてお伝えしたい。