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[書評]『ネット炎上の研究』

田中辰雄 山口真一 著

大槻慎二 編集者・田畑書店社主

ネット社会の深刻なパラドクス 

 このところ時局の話をしていて、もととなる前提がまるで食い違っていることに気づきハッとすることがある。それは主にテレビと新聞のみを情報源としている年長者と話しているときで、こちらとてネットのヘビーユーザーではないにしろ、ツイッターやフェイスブックから刻々と流れてくる情報を相手も知っていて当然と思っていると、とんでもないことになる。

 また、スマートフォンなどの端末を自在に扱う同世代やそれ以下の年代の人と話していても、ネットの閲覧傾向によって微妙な、しかし決定的な差異を感じてはたと立ち止まってしまうこともある。

 それも考えてみればここ数年のことで、なぜこれほどまで急速にコミュニケーション不全の状況が生まれたのかと首を傾げていたところに本書と出会い、それらの疑問が氷解した。

『ネット炎上の研究——誰があおり、どう対処するのか』(田中辰雄 山口真一 著 勁草書房) 定価:本体2200円+税『ネット炎上の研究——誰があおり、どう対処するのか』(田中辰雄 山口真一 著 勁草書房) 定価:本体2200円+税
 膝を打ったのは、たとえば〈サイバーカスケード〉という現象について語る次のような箇所だ。

 「インターネット上では誰もが完全なフィルタリングを行なっており、また、それをサポートするシステムも充実している。そのため、結果的に同じ好ましい情報を共有する人達だけで繋がるようになり、自らの言説に信頼の基盤を与えることとなる。そして、その集団の中では、各人に都合のいい情報のみが溢れており、批判の声は届かず、サイバーカスケードの構築へと至るのである。また、その集団内での討議は、より極端な意見・選択へと帰結し、集団極性化が起こる」

 かくして二極に分断されたネット利用者の間では議論というものが成り立たず、結果として感情的な罵り合いに終始することになる。

 すなわち、より広範な情報を求めてネットに耽溺すればするほど、視野が狭くなって意固地になるという負のスパイラルに陥るというわけだ。

 あるいはMITのメディアラボの所長であったネグロ・ポンティが使った〈デイリーミー〉という言葉。自分専用の新聞という意味で、ネットの発達によって情報源を自分好みにカスタマイズできるようになり、自分の興味のある情報のみを得ることが可能になったことを指す。

 それは便利といえば便利に違いないが、人それぞれが極端に偏った自分だけの新聞を読んで暮らしている図を想像してみると、その異常さに気づく。

 いずれもが、黎明期には民主主義の強力な味方になり得ると誰もが期待したインターネットという利器が、逆に自由闊達な議論を妨げ、中庸を欠いて時として感情の赴くまま暴言を吐き合うという前近代的な状況をもたらしていることを物語っている。

 そして本書のメインテーマである「炎上」という現象についても、既成概念が打ち破られるファクトに目を瞠(みは)る。

 四方八方、思いも寄らないところから次々に石のつぶてが飛んでくる恐怖……炎上を思うときそんな光景がまず思い浮かぶが、実際、炎上にあたる書き込みをする人はネットユーザーのごく一部で、全体の0.5%に満たない。それもほとんどが軽くつぶやく程度で、人を極度に傷つけるような書き込みをする人となると、0.00X%の「通常の対話型の議論をすることが難しい特異な人」たちに限られるという。どんな大きな炎上事件でも、数にすると数十人、ときによっては数人という場合もある。

 例を上げると、芸人スマイリーキクチが女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人だというデマが、2000年頃から8年にわたってネットを炎上させる事件があった。被害者であるキクチが何度も警察に相談した結果、この種の事件では珍しく警察が動き、中傷者が検挙されるに至ったが、長年にわたる大規模な炎上の主犯はたったの18人だったという。

 近々でいうと、あれだけ世間を騒がた五輪エンブレム事件にしても、定期的に騒いでいるのはせいぜいが60人ではないか、という有力ブロガー山本一郎氏の発言を紹介し、あながち間違いではないだろう、と本書は述べる。

 つまり、いったん炎上の舞台にのぼってしまうと、不特定多数の人々から一斉に非難されていると思いがちだが、実は限定できるわずかな「特異な人」が煽っているだけだということになる。

 そして、いったいどんな人物が炎上をもたらしているかというと、お金がなくて家に引きこもり、ネットを相手に終日過ごしているような独身の若者、というイメージを抱きがちだが、実際は「年収が高く、ソーシャルメディアをよく利用する子持ちの男性」というプロファイルが浮かび上がってくるという。

 本書の最大の特徴は、提示されるひとつひとつのファクトが、すべて綿密な調査と数値的な裏付けを伴っているというところだが、著者自らが、主として炎上の原因と対策の方に関心の強い読者は読み飛ばした方がよい、と謙遜する「炎上の歴史的理解」という第6章が、意外ながらもっとも面白かった。

 その章で述べられていることを大雑把に要約するとこうだ。

 近代化の歴史には、国家化・産業化・情報化の3段階があり、国家化と産業化の初期段階には、それぞれ軍事力と経済力の濫用が行われるが、情報化においては現在が未だ初期段階にあり、そこでの〈濫用〉にあたるのが、炎上だとするのである。そしてあくまでソーシャルメディアを前向きに捉え、炎上という負の現象は乗り越えられるべきものとして捉えられる。

 実際、インターネットという利器を知ってしまった以上、われわれはもう元には戻れない。さらにごく最近のことでいえば、沖縄の高江で国家権力がどんな暴挙に及んでいるかということも、もしネット空間がなければ画像として目の当たりにすることも出来ないだろう。

 そういう意味では確かに、われわれは情報化の恩恵にあずかっている。ただ、その恩恵に足をすくわれる危険もあるということを心しなければ、われわれは取り返しのつかない間違いを犯してしまうかもしれない。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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