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「マタニティマークはいやだ」現象を考える(下)

マタニティマークが「錦の御旗」に見えないような社会を

木村涼子 大阪大学大学院人間科学研究科教授

 「マタニティマークはいやだ」現象は決して一様ではない。前回、この現象を3つのパターンに分類してみたが、ここでは、最近注目を集めている、嫌がらせや怒りを生みやすいパターン1(マタニティマークによって席を譲るなどの配慮を要求されることが、椅子に座る権利や自由を侵害しているという反発)に焦点を当てよう。

マタニティマーク拡大マタニティマーク
 マタニティマークという無機的な記号によって、見知らぬ人から配慮をもとめられることへの違和感や反感がその底流にあるだろう。

 言い換えるとそれは、「妊娠・出産は個人的なことがらのはずなのに、マタニティマークは、妊娠・出産は共同体全体の問題という価値観に基づき配慮を要求している」という違和感ではないだろうか。

 こうした認識にもとづく怒りは、マタニティマークにとどまらず、日本社会に蔓延している気がする。

 この種の怒りを、前回で取り上げた個人主義ないしは自由主義と、共同体主義の対立という図式で、あらためて考えてみたい。

不断の問いかけと「解」

 子どもを産む/産まない、妊娠・子育て中も外出したり働いたりする/妊娠・子育て中は家にいる、といった選択は、個人の自由だ。ライフスタイルを選ぶ権利は個々人にある。あるいは、プライベートなことだから、他人が口を出すことではない。そういう了解は現在の社会にはかなり共有されているだろう。

 これは、個人主義(ないしは自由主義)の考え方であると言える。この立場は、働く自由や子どもを産む自由を個人の権利として保障することを是とする。

 一方で、社会・経済的な力を備えた日本社会の維持発展のために、男女共同参画社会の確立や少子化ストップは必要、といった目標は、われわれの代表である議会がさだめ、行政機関が実施をすすめている。

 その背景にあるのは、共同体主義的な発想であり、共同体の維持発展という目標への協力を、人びとに求めているのである。

 前回も書いたように、マタニティマークをめぐる対立は、こうした個人主義と共同体主義の対立のように見える。しかしながら、

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筆者

木村涼子

木村涼子(きむら・りょうこ) 大阪大学大学院人間科学研究科教授

1961年生まれ。1990年、大阪大学大学院人間科学研究科博士課程単位取得退学。大阪大学大学院人間科学研究科教授。博士(人間科学)。専門は、近代日本におけるジェンダー秩序、ジェンダーと教育研究など。『<主婦>の誕生――婦人雑誌と女性たちの近代』(吉川弘文館)、『学校文化とジェンダー』(勁草書房)など著書多数。