顔・風景・音楽による<情>の表現の強度など
2016年07月27日
前回述べたように、物語的主題という点では、『山河ノスタルジア』は典型的なメロドラマであり、よって描かれるのは、母と子が互いに抱く感情を軸にした、さまざまな人物たちの喜怒哀楽だ。そして通奏低音となるのは、ヒロインのタオの心に去来する、過ぎ去った時代や故郷を懐かしむ情緒、すなわちノスタルジア/郷愁である。
必見! ジャ『山河ノスタルジア』(上)――喪失感としての郷愁
ただし肝心なのは、人物たちのそうした感情や思いが、けっして感傷に流れることなく、といって必ずしも禁欲的にセーブされるのでもなく、ときに濃(こま)やかに、ときに鮮烈に描かれることだ。繰り返せば、ジャ・ジャンクーはあくまで、人物の抱く感情を、ひいては物語を、<どう描くか>に注力しているのである。
本作のタオ/タオ・チャオの演技に顕著なように、顔で情を表すことへの、つまり<表=情>へのこだわりは、前作『罪の手ざわり』(2013)における富の偏在によって噴出する暴力の描写への挑戦同様、ジャにとっていわば賭けのような、大胆な試みであったにちがいない。
そしてそれが、後退であるどころか、まぎれもない進化であることに感服するが、その意味で『山河ノスタルジア』は、前作同様、ジャの<実験映画>であるといえる。
では、そうしたヒロインらの感情表現の強度は、凡百(ぼんびゃく)のメロドラマのそれとどう異なるのか。
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