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[書評]『東京β』

速水健朗 著

松本裕喜 編集者

巨大都市東京をつかまえる  

 この本は映画、テレビドラマ、小説、漫画、アニメに描かれた個々の風景を通じて戦後の東京の変化を眺めていく。

『東京β——更新され続ける都市の物語』(速水健朗 著 筑摩書房) 定価:本体1400円+税拡大『東京β——更新され続ける都市の物語』(速水健朗 著 筑摩書房) 定価:本体1400円+税
 都市の物語は東京湾岸の高層住宅から始まる。東京湾岸の臨海地域は江戸以来の埋め立てによって生まれた土地である。

 まず、1958年に竣工した晴海団地を舞台とした映画『しとやかな獣』(川島雄三監督、1962年)が取り上げられる。

 日本住宅公団(現・都市再生機構、UR)の鉄筋コンクリート造の高層住宅は当時の人々にとって憧れの住まいだったようだ。ちゃぶ台からソファやテーブルの生活への転換であり、新しい西洋風のライフスタイルの実現だった。

 1960年代にさる大手出版社の団体交渉で、「現在の賃金では公団住宅にも住めない」との組合側の要求に対して、経営側の回答は「当社の社員が公団住宅に住むのは贅沢だ」というものだったそうだ。日本の公団住宅のような大規模な住宅団地は世界のどこにもないらしい。公団住宅の歴史については、木下庸子・植田実編著『いえ 団地 まち――公団住宅設計計画史』(住まいの図書館出版局)という本に詳しい。

 その20年後の映画『家族ゲーム』(森田芳光監督、1983年)では、同じ湾岸の東雲地区の都営アパートが舞台である。周囲には広大な空き地があり、ガスタンクや倉庫の並び立つ殺風景な光景が広がっていた。人々が裕福になって、すでに高層住宅は憧れの住まいではなく、家族を閉じ込めるきゅうくつな空間に様変わりしていた。

 次いで紹介されるのは、テレビドラマ『男女7人夏物語』(鎌田敏夫脚本、1986年)の隅田川べりの独身者向けマンションである。バブル景気に沸く直前のこのトレンディドラマでは、東京のウォーターフロント(水辺空間)がヤッピーな若者たちにふさわしい舞台として選択された。

 東京論が一番盛んだったのは1990年前後だと思うが、バブルの崩壊後も東京への一極集中が進み、東京圏はいま現在も拡がり続けている。東京はこれまでの都市論の射程を超えた巨大都市になってしまったのではないかという気がしていたが、都市をメディアとして捉えたこの本のように、切り口を工夫すれば東京論はまだまだ可能なのだ。個々のバラバラな作品の中から、その時代時代の街のイメージを「都市の記録の束」として取り出し、東京の変化を探った著者の試みはかなり成功していると思う。

 宮部みゆきの推理小説『理由』(1998年)は、隅田川と荒川が近くを流れる荒川区千住のタワーマンションが舞台である。舞台となった南千住のマンション群は製紙・パルプ工場の跡地に立てられた。戦前から戦後にかけてこの地域には千住火力発電所があって、その4本の巨大な煙突は「お化け煙突」の名称で親しまれたランドマークであった。小津安二郎監督の『東京物語』(1953年)冒頭の場面にもこの煙突は出てくるらしい。

 東京のランドマークと言えば、パリのエッフェル塔完成の翌1890年に竣工した浅草凌雲閣(浅草十二階)、テレビ塔として芝増上寺境内に建てられた東京タワー(1958年)、2012年に浅草に完成した東京スカイツリーがある。東京タワーは「繁栄と消費の帝都」の象徴として、特撮の怪獣映画やドラマでは何度も破壊された。

 1990年代になっても岡崎京子の漫画『ハッピィ・ハウス』や『へルタースケルター』で、「楽しくて仕方がない街でありながらも、リアリティーの感じられない街『TOKIO』の中心に立っている塔」として東京タワーは描かれているという。先日、首都高速から東京タワーのネオンを眺めたが、広大な都心部の景観の中ではクリスマスに飾る住宅のイルミネーションのような可憐な姿に映った。もうモスラやゴジラが襲うことはないだろう。

 これまで東京論を書く人は圧倒的に地方出身者だった。それというのも、東京生まれの人には気づかない視点を地方出身者は持ちえたからだ。しかし東京出身者に言わせると、明治維新以来、東京の中心部は地方出身者によって開発が推し進められ、東京原住民は周辺部に追いやられ続けてきたのが東京の歴史だという。

 本書の「はじめに」で著者は、「町の変化を受け入れないという姿勢は、大げさに言えば既存住民の論理であり、既得権益の過剰保護でもある。良い都市とは常に変化し続ける都市のことである」と述べる。ヨーロッパの都市をモデルにしてきた建築家や都市計画家が決して口にすることはない都市の論理だろう。リゾームのように増殖し続ける現代の東京を読み解くには、「変化し続ける都市」の観点は欠かせないのかもしれない。

 10年くらい前、東京の下町についての著書のあるイギリスの地理(社会)学者ポール・ウェイリーさんが「東京は衰退する」をテーマに本を書いていると言っていたが、その後どうなったのだろう。発想の根底には「変化し続ける都市」への危惧もあったのではないかと思うが、いま「東京は衰退している」と言えるだろうか。むしろ21世紀の都市としてますます繁栄しているような気がする。

 しかし、もしこれから世界の都市が「東京化」していった場合、どんな未来、どんな光景が待ち受けているのだろうか。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

松本裕喜

松本裕喜(まつもと・ひろき) 編集者

1949年生まれ。40年間、三省堂で書籍を編集。主な仕事に建築・都市をテーマにした『日本の建築明治大正昭和』(全10巻)、『都市のジャーナリズム』や、歴史・思想ジャンルの『江戸東京学事典』『戦後史大事典』『哲学大図鑑』『心理学大図鑑』など、また言葉・詩歌がテーマの『一語の辞典』『新明解故事ことわざ辞典』『三省堂名歌名句辞典』などがある。2013年退職後、俳句雑誌『鬼』編集長。本をじっくり読むのが、強み、読むのが遅いのが、弱点。