『海よりもまだ深く』『団地』『しとやかな獣』『団地妻』……家族の変化と映画の成熟
2016年08月01日
「団地映画」の新作を2本続けて見た。是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』と阪本順治監督の『団地』である。
もう一方の『団地』では、藤山直美と岸部一徳が演じる初老の夫婦が、漢方薬局をたたんで引っ越してきた団地で体験する隣人との軋轢が物語の展開を駆動する。
前者の少し湿ったホームドラマと後者の半分乾いたコメディはかなり異質だが、距離を少し置いてみれば、家族の再構築という主題においては、近接関係にある。
是枝作品は、離婚によって壊れかかった家族がある種の和解へ向かう物語であり、阪本作品は、事故によって核をもぎとられた家族が超常現象の中でそれを奪回する物語なのである。
もうひとつ別の同質性もある。団地に特有の身体感覚のようなものだ。
樹木希林がベランダから階下に投げる視線は、藤山直美のそれと重なっている。近隣の住棟の角を曲がって現れる既知または未知の人物は、まず彼女たちの視線に捉えられ、しかる後に階段を昇ってきてドアのチャイムを鳴らすのだ。
舞台の登場人物が上手から現れ下手へ去るように、「団地映画」の空間には約束事のような「映画の文法」がある。是枝作品も阪本作品もこのルールを手ぬかりなく踏んでいる。それは歴代の「団地映画」へのオマージュであり、その系譜に連なることへの承認でもある。
もう少しいえば、「団地映画」とは、箱型住棟と2DKの空間、それが規定する行動や感情の範型の中に盛り込む物語を模索することで成熟を果たしてきた。物語の中心にあり続けたのは戦後家族だが、趣向は時代に応じて変化してきた。本論は代表的な作品に触れながら、変化と成熟の意味を考える。そこには折につけて「団地映画」を見てきた、私自身の内省も多少含まれている。
是枝監督は、『海よりもまだ深く』の主要なロケ地を、自身が70年代はじめから19年間を過ごした東京都清瀬市の旭が丘団地に求めた。この映画の視線が阪本作品の視線に類似しながら、微妙な屈折や逡巡を感じさせるのは、監督自身に染みついた団地暮らしの記憶によるものかもしれない。
私も団地で育った。
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