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『シン・ゴジラ』が描く3・11後の戦慄(上)

庵野秀明は「この国」の怪獣をどう演出したか

高原耕平 大阪大学文学部博士後期課程

 自衛隊の総力を結集した多摩川での防衛作戦は失敗し、ゴジラは静かに、ゆっくりと東京都心へ侵入する。米空軍の爆撃機が投下した貫通爆弾が命中し、怪獣の背が引き裂かれる。ゴジラの体から明るい紫色の光が漏れ始め、口から吐かれた鋭い輝線が東京駅周辺の高層ビル群を薙(な)ぎ払う。火の海の上で、巨大生物がそれまでまとっていた不気味さが、はっきりとした憎悪に移行する。

3・11後、初めての「ゴジラ」

 7月29日に封切られてすぐ、映画『シン・ゴジラ』を観に行った。上記のシーンは中盤の見せ所である。この映画の魅力はこうした映像の迫力だけに留まらないのだが、このカタストロフィのシーンだけでも劇場で観る価値が十分にあるとおもう。

 わたしがこの映画を楽しみにしていたのは、ひとつは本作の総監督である庵野秀明氏の作品が好きだからだ。庵野氏はアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズの作り手として有名であり、他にも『トップをねらえ!』『ふしぎの海のナディア』といったアニメーション作品を世に送り出してきた。

 『エヴァンゲリオン』シリーズは登場人物の内向的な心理描写が特徴のひとつである。テレビ放映された1995年以降の鬱屈した社会心理を先取りした作品の一つとみなされている。サブカルチャー研究では必ずと言って良いほど言及される作品だ。

(左から)庵野秀明総監督、出演者の石原さとみ、長谷川博己、竹野内豊(左から)庵野秀明総監督と、出演者の石原さとみさん、長谷川博己さん、竹野内豊さん
 ただ、わたしはそれだけでなく、巨大メカや兵器や美少女キャラクターの緻密な描き込み、暴発するエネルギーの生々しい表現など、庵野氏の独特の表現手法にも魅力を感じる。その庵野監督が、アニメーションではなく実写映画として「ゴジラ」を造った。観に行きたいとおもった。

 この映画に注目していたもう一つの理由は、本作が、東日本大震災の後に初めて日本国内で製作された「ゴジラ」であることだ。

 「ゴジラ」はもともと核兵器の象徴として描かれてきた怪獣である。初代『ゴジラ』(本多猪四郎監督、1954年)は、水爆実験によって目覚めた巨大生物が東京を襲うという筋立てである。

 しかしシリーズが進むにつれ、ゴジラと核の結びつきは弱められていった。高度経済成長期のゴジラは、南の島で他の怪獣とプロレスをしたり、「シェー」のポーズを取ったりしていた。当時はまた、日本中で商用原発が建設されていた時代でもあった。どことなくかわいげのあるキャラクターとなってしまった「ゴジラ」は、原子力はコントロールしうるのだという時代意識を反映していたのかもしれない。

 しかし2011年3月11日に福島第一原発がメルトダウンし、そうした時代意識は霧散した。原子力はコントロール可能であるという主張は、専門家の権威あるお墨付きから、さまざまな政治的立場のひとつへと変わった。

 わたしはメルトダウンのことを報道で知ったあと、いまこそ日本の映画産業は「ゴジラ」を描くべきだとおもった。他の怪獣とプロレスに興じるのではない、原点に返った「ゴジラ」を。それから5年が経って、やっと本作が造られた。

 あの庵野秀明監督が、3・11後の「ゴジラ」をどのように描いたのか。

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