五味文彦 著
2016年08月29日
ずいぶん昔、まだ小学生だったころ、家にあった少年少女向けの文学全集で、鎌倉時代から建武の中興あたりを扱った歴史の本を、夏の暑い午後になると読みふけったものだ。
とりわけ好きだったのは楠木正成の戦いで、知略を尽くしたその様に引きずり込まれることしきりだった。別に南北朝の問題に深い関心を抱いたわけではなく、後醍醐天皇の姿に強い関心があったわけでもない。要するにチャンバラが好きだっただけなのだが、それでもずいぶん波乱に富んだ時代だったのだなあ、との感想は残った。
もちろん中学や高校の日本史の授業で、もう少し詳しい事情を知ったはずなのだが、年号や人名の羅列にうんざりして、じっくりあの時代を知ってみようという気持ちは失せることになる。
ついでに言えば、北畠親房の評判が悪く書かれていて、南朝を理由もなく悪しざまに論じる本が多かったような気がするし、楠木正成などという名前を出すと、お前は妙な歴史物語に入れあげているというような目で見られたことも影響しているのだろうか。
あれから幾星霜、平安時代末期から足利時代の途中までを扱った本書を見かけて、猛暑の夏に読みふけった。
『文学で読む日本の歴史 中世社会篇』(五味文彦 著 山川出版社)
この本を手にした理由の一つは、折から天皇の生前退位の話題が世間を騒がせており、天皇や上皇、法皇が数多く現れ、武家との間に様々な軋轢があった時代の姿に興味を惹かれたということがある。
もう一つ。何よりタイトルに興味をそそられた。うかつなことに、「文学で読む日本の歴史」には既刊の古典文学篇があり、本書の後にはさらに続けて日本史が語られる予定であることなど知らなかった。
なるほどこうして文学と歴史とを組み合わせて叙述するというアイデアはイギリス史でも使えるかとも思ったわけで、そんなことから畑違いの日本史の世界に踏み込んだのである。
では読んだ結果はどうだったか。
まず読み始める前から感じていた疑問、それがさらに深まった点は挙げておく。著者は「文学で読む」と言うが、その文学とはどのようなものを指すのか、文学という範疇にどの作品が含まれるのか、いやそもそも近代以前の日本に「文学」というジャンルは存在していたのか、などという疑問である。
「おわりに」の部分を読むと、著者もこの点に少し触れてはいるが、どうもよくわからない。おまけに、すでに触れた既刊書のタイトルは、副題が「古典文学篇」である。もしシリーズ・タイトルが「文学で読む日本の歴史」ならば、各巻ごとに副題が変化するのは不可解である。
もう一つ。今回読んだものでは、章のタイトルに妙に現代的な言葉、例えば、「身体への目覚め」とか「身体を窮める」などが出てくるが、これがもう一つしっくりこない。内容を読むと、違和感が残るのである。
とはいうものの、中世という時代の社会相を詳細に綴った本書は勉強にはなる。もっともこの手をイギリス史に応用するのは難しそうだが。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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