福嶋聡(ふくしま・あきら) MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店
1959年生まれ。京都大学文学部哲学科卒。1982年、ジュンク堂書店入社。サンパル店(神戸)、京都店、仙台店、池袋本店、難波店店長などを経て、現在、MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店に勤務。著書に『希望の書店論』(人文書院)、『劇場としての書店』(新評論)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
民衆のエネルギーが充満していた「大正」を読み直す
今世紀の「NHK 朝ドラ」の最高視聴率を記録した「あさが来た」の最終回近く、主人公白岡あさ(波瑠)に平塚らいてう(大島優子)が近づき、あなたは確かに今の時代では「新しい女」かもしれないが、私はあなたを超える「新しい女」になると宣言する場面がある。その場面を見ながらぼくは、「そしてあなたもまた、ある女性に超えていかれるんだ」と呟いた。
その女性こそ、らいてうが創刊する『青鞜』の編集長を引き継ぐことになる伊藤野枝である。
“まず私は今までの青鞜社のすべての規則を取り去ります。青鞜は今後無規則、無方針、無主張無主義です”
前にWEBRONZAでも『現代暴力論』を紹介した栗原康が、今年3月に『村に火をつけ、白痴になれ――伊藤野枝伝』(岩波書店)を上梓した。
福嶋聡 「暴力」について改めて考えさせられた本(上)――廣瀬純『暴力階級とは何か』、栗原康『現代暴力論』
この本での栗原の伊藤野枝への入れ込みようは、尋常ではない。90年以上前に亡くなった女性に、完全に寄り添っている。
「ひどい、ひどい」「やったぜ」「やばい、しびれる、たまらない」「こわいこわい」と、野枝と共に怒り、野枝と共に歓喜し、野枝に心酔して、時に畏れる。
栗原が野枝を代弁しているのか、野枝が栗原を代弁しているのか、時々わからなくなる。相互に憑依しているかのような文章が続くのだ。
栗原が、野枝が訴えるのは、「徹底的に、何に関しても例外なく自由であれ」ということである。
自由とは、そんなに七面倒くさいものではない。人間が何ものにも束縛されない状態である。そう、野枝の28年の人生は、自分の意思を阻む障壁を乗り越え、束縛から逃れ続ける人生であった。
地元の高等小学校卒業後、郵便局に就職した野枝だったが、本が読みたい、勉強をしたいと切望する気持ちが募り、手紙で思いのたけを伯父に報せ、理解を得て上京、その伯父の家に住み込み支援も受け、見事上野高等女学校に入学する。だが、卒業後、恩人である伯父の決めた結婚話に抵抗を続け、遂には祝言後に出奔、かねて行為を抱いていた上野高等女学校の教師辻潤の元に走る。
“もちろん、おじさんには女学校にいかせてもらった大恩がある。でも、それはあくまで親切心でやってもらったことであって、おじさんのわがままにつきあう必要はまったくない”
周囲の非難をものともせず、辻との間に2人の子供をもうけた野枝だが、やがて辻の足尾鉱毒事件への冷たい態度や辻の浮気をきっかけに大杉栄の家に駆け込む。
“自由恋愛にルールだなんだのといって、経済的自立や別居を求めていたことのほうがおかしいのである。恋愛は自由だ。好きなときに、好きなだけ愛欲をむさぼればいい”
こうしてみると、野枝は、まるで愛欲の赴くままに生きた女であるかのようだが、野枝の恋愛観はそうではない。
たしかに「セックスは、やさしさの肉体的表現である」が、「だいじなのは、