特攻を命じた兵士が背負い続けてきた果てしなき戦後
2016年08月25日
昨年(2015年)は、戦後70年ということで、戦争にまつわる映画が次々と公開され話題を呼んだ。
憲法が決壊した夏、『野火』に感じる戦争のリアル 「戦争の恐ろしさを全身に浴びてください」――塚本晋也監督
そして今年、戦後71年目。各地で特集上映が行なわれたものの、新作公開に関しては潮が引いたような静けさである。しかし、私たちは戦後をひたすらまだ歩き続けている。そこには何の区切りも存在しない。
今夏、日本で公開される『人間爆弾「桜花」――特攻を命じた兵士の遺言――』は、その区切りなき戦後を生き続けて来た一人の元海軍大尉・林富士夫のドキュメンタリーである。
戦局が絶望的になりつつあった1944年6月、旧日本帝国海軍の最後の切り札・特攻兵器「人間爆弾『桜花』」作戦を聞かされた林は、当時22歳、海軍兵学校飛行学生を卒業したばかりのエリート士官であった。計画を聞かされた林は苦悶の数日を過ごした後、第一志願兵として作戦を開始させる決断を下す。
神雷部隊桜花隊に配属された林は、鹿児島県鹿屋を拠点に作戦を実行に移していく。彼の指導の元、特攻飛行の技術を学んだ若い部下たちの中から、翌日の出撃者を選んで出撃者名簿を書き揃え、翌日には彼らが出撃していくのを見送る、それが彼の日課となっていった。
「育てておきながら、最後には鉛筆の先で殺してきたんですね」
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