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SMAP解散、ジャニーズという会社の合理と情と

香取慎吾さんを勝手にもの悲しがってしまう

矢部万紀子 コラムニスト

「勤労少年」としての香取慎吾さん

 小泉今日子さんの『黄色いマンション 黒い猫』という本を読んだ。切なくて温かいとてもよい文章で構成されたこのエッセイの中で小泉さんは、自らを「勤労少女」と振り返っている。今年50歳になった小泉さんがデビューしたのは34年前、16歳のときだった。

 中の「回顧と感謝」という一遍は、18歳から21歳まで住んでいたという原宿で出会った人々(いつもおまけしてくれる八百屋のおばさんだったり、喫茶店でさりげなく励ましのメモを置いてくれた大学生のお姉さんだったり)の話。

 「原宿の街には善意が溢れていた。原宿に暮らしていた十代の頃、勤労少女だった私の心が健やかだったのは、しょっちゅうこんな出来事に遭遇していたからだ」とあった。勤労少女を取り囲む善意。心に残る小編だった。

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 読んでいたのは、ちょうどSMAPの解散発表があった頃。

 その後のたくさんの報道で、解散の意向が最も強かったと伝えられたのは、最年少の香取慎吾さんだった。今年39歳、SMAPの前身であるグループに参加したのは11歳だったという彼こそ、まさに「勤労少年」だったろう。

会社員としての生きにくさ

 騒動の最中、ある音楽業界の人から、遠い昔に聞いた若き日のSMAPの話を思い出した。彼はこう言っていた。「慎吾は現場にミニカーを持ってきて、遊んでいた」と。

 ミニカーで遊ぶ頃から働く人生。オリンピック期間でもその解散が、新聞の一面で報じられるほどの日本一、いや外国メディアにも報じられるほどの世界的アイドルグループのメンバーなのだから、その人生はオールオッケー。そうは思えなかったからこそ、解散という結論にいたったのだろう。

 彼は少年だったとき、どこに住んでいたのだろう。そこには小泉さんが会ったような善意な人たちはいたのだろうか。そんなことをしきりと考えてしまう。

 香取さんは、飯島三智マネージャーを母のように慕っていた。そのように語られている。説明するまでもないが、ジャニーズ事務所のナンバー2・メリー喜多川さんと対立し、ジャニーズ事務所を退社した、SMAPの育ての親とされるのが飯島さんだ。

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筆者

矢部万紀子

矢部万紀子(やべ・まきこ) コラムニスト

1961年生まれ。83年、朝日新聞社に入社。宇都宮支局、学芸部を経て、週刊誌「アエラ」の創刊メンバーに。その後、経済部、「週刊朝日」などで記者をし、「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理、書籍編集部長などをつとめる。「週刊朝日」時代に担当したコラムが松本人志著『遺書』『松本』となり、ミリオンセラーになる。2011年4月、いきいき株式会社(現「株式会社ハルメク」)に入社、同年6月から2017年7月まで、50代からの女性のための月刊生活情報誌「いきいき」(現「ハルメク」)編集長をつとめた後、退社、フリーランスに。著書に『美智子さまという奇跡』(幻冬舎新書)、『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)。

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