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「アイドルグループ」SMAP、その未完の魅力

終わりのない日常を生きる覚悟を抱いていたエンターテイナー

太田省一 社会学者

 「ひとつの時代の終わり」。顕著な業績や成果を残してきた存在がその地位を退くという話になったとき、よく使われる常套句である。

 今回のSMAPの解散についてはいまも盛んに報道が続いているが、そのなかでもこのフレーズを何度か耳にした。だが私から見ると、それは結論を急ぎすぎている。少なくとも現時点で使うのはまだ早いという気がする。

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 確かに、結成から28年、デビューから25年のあいだに、SMAPはグループとしては前例にないほどの息の長い活躍をしてきたし、十分すぎるほどの実績を残してきた。

 その意味では、彼らがひとつの時代を築いたことは間違いないだろう。海外では、その影響力を踏まえてか、今回のことをビートルズの解散になぞらえる報道まであった。

 しかしSMAPは、欧米的なスターやアーティストとは異なる。彼らはいまの日本の社会状況のなかでこそ支持された、とても日本的な「アイドル」でもある。私としてはその点にこだわりたい。

人生のロールモデルとして

 アイドルとはなにか? それは、「未完成であること」がそのまま魅力になるような存在である。未完成さは、一方で未熟とか稚拙とかいったマイナス面に通じるが、もう一方で努力や訓練による成長という魅力につながる。ファンは、未熟さや稚拙さを克服するためにアイドルが努力し、成長する過程をそれぞれの立場で応援するのだ。

 かつてアイドルは、ティーンが熱狂するようないわば一過性の現象だった。それは、「若さ」が未完成さをわかりやすく象徴するものだったからである。

 ところがいま、アイドルは“終わりのないもの”になっている。というか、アイドルをそういうものにしたのがSMAPであった。そして彼らは、そうなっていくプロセスのなかで、時代と深く交わる存在になった。

 その時代とは、例えば、「大人」というものが不透明になった時代である。一定の年齢になれば大人になることにそれほど疑問を持たずにすんだ時代は過去のものになり、いまは年齢に関わりなく「大人ってなに?」と誰もが常に自分に問いかけているような時代である。だがそれは、決まったかたちの大人になる必要がなく、多様な生き方ができる時代ということでもある。

 そのなかで「未完成であること」が魅力になるアイドルは、私たちの人生のロールモデルになりうる。その先駆者がSMAPなのだと私は思う。

 もちろん、SMAPのメンバー自身は、

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筆者

太田省一

太田省一(おおた・しょういち) 社会学者

1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論――南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、『社会は笑う・増補版――ボケとツッコミの人間関係』、『中居正広という生き方』(いずれも青弓社)、『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント 』(光文社新書)、『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』(双葉社)など。最新刊に『ニッポン男性アイドル史――一九六〇-二〇一〇年代』(近刊、青弓社)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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