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[書評]『行動経済学の逆襲』

リチャード・セイラー 著 遠藤真美 訳

井上威朗 編集者

権威に反逆し続けた人が新たな権威になったらどうするのか?  

 国内で取材する書籍出版部から、海外情報を扱う雑誌編集部に異動した3年前のことです。

 扱うネタが変わりすぎて何の成果も残せない私を心配した上司は、やるべき企画を指示してくれるようになりました。

 中年を過ぎて新企画ひとつ起こせないとは情けない限りですが、何もしないよりはマシです。ちゃんと指示をこなすことからはじめて、一刻も早くこの仕事に慣れよう、と決意して、良きイエスマンとして仕事にまい進する生活が始まりました。

 ……といいたいところですが、そのときの指示は「じゃあ井上さん、『ナッジ』の記事をやってください」というものでした。

 ナッジ? なにそれ。ナレッジ、あるいはナッチの聞き間違いかしら?と思いつつも、ついイエスと答える愚かな中年男がそこにいました。

 知ったかぶりは本当によくないものです。こうして、入稿までヒーヒー苦しみながら行動経済学の勉強をするハメに陥った次第でした。

『行動経済学の逆襲』(リチャード・セイラー 著 遠藤真美 訳 早川書房) 定価:本体2800円+税『行動経済学の逆襲』(リチャード・セイラー 著 遠藤真美 訳 早川書房) 定価:本体2800円+税
 ということで本書は、そんな3年前の私が読んでたらこれ1冊ですんで楽だったのに!と悔しくなるくらいよくまとめられた、「ナッジ」提唱者その人による大型総括本です。

 ここで当時の私のような人のために「ナッジ」を改めて解説しておきます。

 この単語の意味は「人をヒジでそっと押す」というもの。人間が強制ではなく、進んでよい選択をできるように行動をデザインする政策を指すようです。

 当時は本書著者の書いた『ナッジ』という本(邦題は『実践 行動経済学――健康、富、幸福への聡明な選択』日経BP社)が世界的ベストセラーとなり、米英の政府が実際にナッジを採用して大きな成果を残していたのです。

 私が無知なだけで、世界的に注目のキーワードだったのですね。

 一番有名な「ナッジ」の実例は、オランダの国際空港で男子トイレの汚れを減らすために、小便器の排水口付近にハエの絵を描く、というもの。トイレに立つ人はそこを目がけて用を足すようになり、たったこれだけの工夫で清掃コストが8割減った、という話を聞いたことがある人も多いでしょう。

 本書によれば、こうした政策が実現するようになった背景には、本書著者セイラー博士の何十年にもわたる奮戦があったようです。

 かつて、経済学は人間が合理的に判断するという前提で緻密な理論を構築していました。ですが、これはどう見ても現実的な前提ではありません。

 よくいわれることですが、私たちは不合理な行動を繰り返す生き物です。

 たとえば350円の牛丼を食おうとするときに、隣の店では50円の卵が無料でつくらしい、と聞けば、私のような人間は大喜びで隣の店に移動します。でも酒を飲んだあとの夜のお店で女の子の指名料5000円を支払うときに、隣の店では指名料が4950円になるといわれても、店を移動するなんてありえない気がします。

 同じ「50円お得」という条件で、どうして(私のような欲に弱い)人間は別の行動をとってしまうのか。

 これは、経済学がモデルとした「合理的に行動する」人間像が非現実的だったからではないか。だから、ブラックマンデーにもリーマンショックにも対応できないノーベル経済学賞受賞者が次々と生み出されてしまったのではないか。

 ならば、経済学は心理学の知見を生かして、「不合理に行動する」人間像を前提に議論をするべきではないか――。

 こうして誕生した「行動経済学」は、伝統的な経済学者から厳しい非難を浴びせられます。人間相手の実験なんか無意味だ、緻密に数学的な議論をしろ、とかいい放つ人までいたようです。

 ですがこうした非難はいずれも、本書著者セイラー博士の目からは的外れに映ったようです。なので、彼はまったく動じることがありませんでした。

 学会で「非科学的だ!」と罵倒されるなどの屈辱を味わいながらも、セイラー博士は着実に実績を積み重ねます。

 法律や金融などの異分野でも正しい政策提言をおこない、株式市場の動向を正確に予測し、あるいはつぶれかけたスキー場を立て直し、さらにはNFLのドラフトで勝てる戦略を提案したりと、八面六臂の活躍が本書では描かれます。

 さらにはビジネス小説のように、局面ごとに頼りになる新しい仲間が増えていき、やがて行動経済学は経済学の主流となります。

 そして先にあげた「ナッジ」のような政策提言を通じて、行動経済学は「世界をよりよくする」ための実践も成功させていくのでした。

 その結果、反対派は沈黙あるいは転向し、ついにセイラー博士は米国経済学会の会長にまで登りつめました。めでたしめでたし。

 結局、本書は「行動経済学の逆襲」というよりは「行動経済学、勝利への軌跡」という内容の本だったわけですが、読み終わっても腑に落ちない点がひとつだけ残りました。

 はじめてこのジャンルに触れた3年前の私は、ダン・アリエリー博士の本を楽しく読むことで「行動経済学が想定する人間像は面白いなあ」と目を開くことができました。

 おそらく同様に、行動経済学といえばダン・アリエリーと思ってしまう人も多いと思われます。『予想どおりに不合理――行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』(早川書房)とか、よく売れたしいい本でしたよね。

 ですが本書では、アリエリー博士はただの1行も登場しません。参考文献リストにもいません。

 「行動経済学者」としてあれだけ有名な人物の名前が、完全にスキップされているのです。おそらく、行動経済学の勝利にアリエリー博士は貢献していない、という判断があるのでしょう。ですが、そうだとしてもその理由を一言くらい書いてほしかったです。

 だって、行動経済学は、不合理に思考し行動する、私たちのような賢くない大衆とともに存在するものだったわけでしょう。だったら大衆受けする「俗流行動経済学」も言及されないとおかしいじゃないですか。

 でも憤慨してる場合ではありません。ここで私は「権威に反抗してた人が権威側になったときに陥る、ちょっとアレな兆候」に警戒する、という教訓を学ぶべきなのでしょう。

 人は年を取るほど権威側に近づくわけで、いまこんなふうにイキがっている私も例外ではないかもしれません。ならば3年前の「とにかく一夜漬けでも必死に勉強して、少しでもマシな記事を書く」根性くらいは維持したいものです。

 ということで書店に行く理由が増えました。ではまた、書店から机に戻ることができたら、ここでお目にかかれれば幸いです。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。